木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 

<ファイナル>

 

 「結論を急ごう」、この言葉が私の頭にインプットされたのは、子供の頃に視ていた、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」のせいだったように思います。たしか徳川夢声さんが探偵局長になって、サスペンスの謎を解いていく番組で、最後にナレーションの山内雅人さんのこのセリフをきっかけに、有吉佐和子さんや池田弥三郎さん扮する探偵局員たちによる謎解きの場面が始まったように記憶しています。

 それはともかく、このヒストリーもそろそろ、「結論を急がねば」なりません。思えば、この私的ヒストリーを書き始めたのが2016年6月13日のことですから、ここまで辿り着くのに、ほぼ3年を費やしたことになります。今日は2019年の4月30日、時代が「令和」に変わる、「平成」最後の日です。書き進むうちに、何としてもこの平成最期の日に終えたいという思いが芽生え、この日で終わることになりました。最初はゴールを決めずに、スタートをしたのですが、書き進む中で、「あんなこともあったな」、「こんなこともあったな」と思い出が蘇り、まるで「メンタル・タイムトラベル」に陥ったかのようになって、ついついここまで来てしまいました。

 振り返れば、吉本興業でお世話になった33年、フリーになって大阪で7年、事務所を東京へ移して、早や10年目を迎えました。都合50年間も働いたことになるわけです。さしたるスキルやノウハウもない私が、ここまで何とかやれてくることが出来たのも、ひとえに周囲の皆さま方のおかげだと思います。ただただ、感謝の他ありません。本当に有難うございました。

 「人間は、思い出を再編集して記憶する」と言われますが、まさにその通りで、今となっては、辛かったことを含めて、その全てが楽しい思い出ばかりであったように想起されます。この「ヒストリー」についても、あえて最初に「私的」と付けたように、あくまでも私個人の主観で振り返った歴史ということで、お許しをいただければ幸いです。ともあれ、この「ヒストリー」を書き終えた事で、心中に貯めていたものを吐き出すことができました。「呼吸」という言葉は、吐くのが先、「出入り口」は、出るのが先に来ます。吐いて、出して、それから吸って、入れるのが、やはり正しいのだと思います。これからは、「元吉本の」でもなく、「5ℓの」でもない、一個人の木村として生きていきたいと思います。

 「5G」や「GAFA」などという言葉が飛び交うようになった今、私のようなアナログ人間が、この先の時代に通用するとも思えません。この5月30日には73歳を迎えます。そろそろ事務所を閉じて、残りの人生を過ごすことにします。とは言え、美味しく食べられる「賞味期限」こそは切れても、まだ腹を痛めずに食べることの出来る「消費期限」までには、少々時間もあるように思えます。

 この「ヒストリー」の完結を、365回ではなく、あえて364回目にしたのも、「まだあと少しバッテリーが残ってるよ」と言いたかったからなのです。茶道の「煎茶は三煎にして味わうの教え」では、「初めの一杯はぬるま湯で芽茶の甘さを味わい、次はやや熱い湯でカフェインの苦みを、そして最後に熱いお茶で、タンニンの渋味を味わう」とされているそうです。人間も、この年齢ともなれば、甘さよりも、苦さや渋さを味わうことが多くなるのでしょうが、それをただ嘆くのではなく、寧ろ、その苦さや、渋さを愉しむだけのゆとりは忘れないようにして、日野原重明さんのお言葉のように、「命に齢(よわい)を加えるのではなく、齢(よわい)に命を加えるべく」生きて行ければと思っております。

 皆さまには、今日までお付き合いをいただき、本当に有難うございました。御礼申し上げます。皆さまの、更なるご活躍とご健勝を心よりお祈りし、これにてお別れのご挨拶とさせていただきます。

                        2019年4月30日  木村政雄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私だけが知っている」

 

 

 

5G(ファイブ爺)

 

GAFA

 

GAFAではなく、GAHAHAおじさんと呼ばれた和田勉さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰がおっさんやねん!

 

決して「コラー!マテー!」などと追いかけないで下さい

 

 

 

 

 

とはいえ、人生はまだ続きます