年の瀬の12月17日からは、妻と念願のアフリカ・ケニア共和国へ行ってきました。それまでケニアという名前は、子供の頃に見た山川惣治さんの絵本の「少年ケニヤ」か、難波にある喫茶「ケニアの王様」くらいでしか馴染みがなく、ケニアがアフリカ大陸のどこにあるのかも知らなかったったのですが、この未知の地を訪ねる気になったのには伏線があったのです。そう、かれこれ7・8年前のことでした。イラストレーターの長友啓典さんにお目にかかった際、彼の地に日本人が建てた会員制のサファリ・ロッジなるものがあって、「夜明けに飛び立つ気球に乗って、眼下にサバンナを疾走する動物たちを眺める風景は格別のものがあるよ!」と聞かされ、予てから「いつか機会があれば、行ってみたいな!」と思ってはいたのです。
そんなある日、何気なく航空会社から送られてくる雑誌を家で眺めていると、なんと!載っているではありませんか、そのロッジのことが。ファイブスターという旅行社が主催をする、「ANAマイレージクラブ会員限定ツアー、ムパタ・サファリ・クラブに滞在する8日間」。早速、そう書かれたページを指さしながら、怪訝な顔をしている妻にいきさつを説明して、ツアーに参加する了解を取り付けたのです。
ところが、12月17日、午後5時半に成田を飛びたって、7時間少しで経由地のバンコックに着くまでは確かにANA便だったのですが、その後ナイロビまで9時間余り乗り継いだのは、ANAとアライアンスを組んでもいないケニア航空の便で、その上、我々2人だけでトランジットをしなければならない個人旅行のようなものでした。さすがに、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港には、現地旅行社・SOMACのサリーさんという人が来てくれていて、3・40分ほど離れた国内便用のウイルソン空港までは同行をしてくれました。
ケニア共和国は、日本から直線距離にして11091km。アフリカの東、インド洋に面する赤道直下のイギリス連邦加盟国で、人口は約4500万人、部族数は42。日本の約1.5倍ある国土の大半は、1100mから1800mの高原で、年間平均気温は19度だと聞きましたが、目的地は首都のここナイロビではありません。
我々は、さらにそこから、エア・ケニアの小型プロペラ便で、約300kmの距離を1時間半ほどかけて、キチュワテンポ・エアストリップに辿り着かねばならなかったのです。エアストリップとは言っても、ただ滑走路があるだけで、誘導施設どころか、誰もいない、ただの空き地に杭を打っただけのものでした。幸いなことに、そこにはライオンも居なくて、襲われることはなかったのですが、成田からの合計フライト時間は、すでに18時間20分。ここからは出迎えたロッジのジープで、目当てのムパタ・サファリ・クラブへ向かったのですが、石ころだらけの悪路の中、どこかに捕まっていないと車から飛び出してしまうほどの揺れに身を任せること約45分。ノックアウト寸前のボクサーのような思いで、コーナーポストいや、ムパタサファリクラブに辿り着くことが出来たのです。
ケニア随一の野生動物の宝庫・マサイマラ保護区に隣接し、果てしなく広がるサバンナを眼下に見下ろす、オロロロの丘に建てられたこともあって、気温は15度、思いのほか涼しいことに驚きました。本館と20余室のロッジは建築家・鈴木エドワードさんの設計だと伺いました。ロッジ備え付けのジャグジーで旅の汗を流した後は、2人揃ってさっそくゲーム・ドライブに出かけました。フロリダのディズニー・シーのアニマル・キングダムで体験済みとは言え、本物の迫力はやはり格別のものがありました。シマウマを捉えたライオンが、肉をムシャムシャと食べている姿を至近距離で見られるのは、そう経験できることではありません。他にもインパラ、ガゼル、水牛、アオサギ、ヒヒ、マサイキリン、チータ、マングース 、カバ、ワニ、象などを見て、3時間半後にホテルへ戻り、この日にロッジで結婚式を挙げたカップルらと共に、ステージで繰り広げられるマサイ族の踊りを見ながら、 楽しくディナーをいただきました。そうそう、部屋のベッドには日本人のフロントスタッフ・市原紀子さんの配慮で、湯たんぽを入れていただいて、ぐっすりと眠りに就いて、ようやく長旅の疲れを癒すことができました。
ジョモ・ケニヤッタ国際空港
直線で11091km、時差はマイナス6時間
エア・ケニアの小型プロペラ便
キチュワテンポ・エアストリップ
ロッジの入り口
室内
部屋についているジャグジー
プールもあります
サファリドライブ
水牛(バッファロー)
ステージでのマサイダンス(ジャンプ力がすごい)