また、なぜかこの年は、各地の祭りに出かけることが多かったように思います。まず最初に行ったのは7月25日、日本3大祭りのひとつ「天神祭り」でした。10年ほど前に某新聞社の船に乗ったのはいいのですが、ゴザの上での胡坐座りに足がしびれ、下船の際、うかつな事に靴を大川に落とした苦い経験があって以来、すっかりご無沙汰をしていました。ただ今回は椅子席とのこと。よもや前回の轍を踏むこともあるまいと招待を受けることにしたのです。船は最後尾の神事講乗り合い船43番船。幸いにも好天に恵まれ、勢い込んで早めに乗船したものの、出発まで1時間半ほどかかってしまいました。出していただいた弁当を食べ終わってもまだ50分ほどありました。
約200人の客を乗せた船がようやく岸を離れたのは、暮れなずむ午後7時近くでした。講の代表の挨拶に続いて、大阪締めのリハーサル。「打ちましょ(パンパン)、もひとつせえ(パンパン)、祝うて3度(パパン、パンパン)」、まるで小学生のように、息が合うまで繰り返し練習させられました。それでも不満の声が出ないのは、さすが神事。神の前では、人はみな素直になれるのです。
天神橋を離れた船は、大川を遡行して北へ。新淀川大橋の辺りでUターン、約2時間半かけて戻るのです。1000年を超える祭りの伝統美を今に伝える、全長5キロのコースは1953年に誕生したと言われます。元々は大川から堂島川、木津川へと進み、下流の御旅所を目指す船渡御列だったのですが、戦後の地盤沈下によって、船が橋を潜れなくなり今のコースに変更されたといいます。
「はりげん連」の鐘・太鼓の「天満ばやし」が、止むことな船中に響き渡りました。行き交う船と大阪締めを交わし、橋や沿道から見る人たちと手を振り合う、とてもフレンドリーな大阪らしい光景を目にしました。 何より、鉄橋を通過するJRの列車までが、祭りの見物を促すかのように徐行運転をしていたのには驚きました。「さすが大阪!JRも粋なことをするじゃアーりませんか」。この年から倍に増やしたという1万発の花火を、遠目・近目に楽しみながら船を降りたのが9時半頃でした。
そして翌週末には、妻とバスで東北へ出かけ、8月4日は青森で「ねぶた祭」を観ました。巨大な武者人形をかたどった19台の山車の美しさもさることながら、闇に溶け込む笛の音や、賑やかな手振鉦の囃に乗って、跳人(ハネト)たちの放つ「らっせ、らっせ、らっせらー」という掛け声が耳に響きました。更に、翌5日には「秋田竿燈祭り」。夜空に映える総計280本の竿燈が掲げられる美しさはもちろんのこと、高さ12m、重さ50キロの竿燈を、平手や肩、額に乗せて 型の美しさを競う男たちの姿に見とれてしまいました。
続いて9月3日には富山県・八尾で「越中おわら風の盆」を見に、長良川の鵜飼いや白川郷、黒部ダムをめぐるツアーに参加をした中で訪れたのですが、1988年にNHK BS-1のギャラクシー賞受賞作「越中おわら風の盆」(作・市川森一、主演・松本幸四郎)というドラマや、1989年にレコード大賞に輝いた石川さゆりさんの「しのびあう恋 風の盆」で知られるようになり、哀調のある胡弓の調べに乗って、無言の踊り手たちが披露する町流しは人々を魅了して、「日本で一番美しい夜祭」と評判を呼んでいました。
これとは逆に、勇ましかったのが、9月15日に訪ねた岸和田の「だんじり祭り」でした。元吉本系列の制作会社ITSに居て、当時、岸和田市の都市計画審議委員をしていた奥正孝さんの招きで訪れたのですが、何せ彼が生真面目な性格とあって、(有難い?)ことに朝4時半から行われる「山車の曳き出しから見た方がいい」と勧められて、関空近くのホテルに前泊をする羽目に陥りました。まだ夜も明けぬ朝4時に迎えに来られた奥さんと共に、案内された下野町に着いたのが4時半。2時間ほど居て、「だんじり祭りを見るためにマンションを購入した」というリッチな方の、カンカン場にある自宅特等席から、100mほどの2本の綱を500人あまりで引いて、街を疾走する重さ4トンの山車が、屋根に乗った大工方の指示で後梃子を使ってカーブをする、スリリングな「やりまわし」のシーンを観たのですが、あまりにも八尾と違う、男祭りの豪快さには驚きました。「所変われば品変わる」といいますが、日本は広いなと思いましたね。
行き交う船と「大阪締め」を交わします
跳人(ハネト)
奥正孝さん
このベランダから見た「やりまわし」
岸和田では「一年の計は九月にあり」と言います