
さらにこの後、7月13日には「5ℓ」9月号のインタビューで笑福亭鶴瓶さんにお会いしました。場所は大阪・天満にあるOMMビルの会議室で、お目にかかったのは、フジテレビの「平成日本のよふけ」以来のことでした。
鶴瓶さんは京都産業大学を出た後、6代目笑福亭松鶴さんの弟子となって、1974年にKGS京都の「丸物ワイワイカーニバル」でデビュー、78年からOBC日曜深夜にノースポンサーで、放送作家・新野新さんと始めたトーク番組「ぬかるみの世界」が次第に評判を呼び、80年には放送で呼びかけたリスナーが、5000人も新世界に集まる「新世界パニック」を引き起こす人気番組となりました。因みにこの番組に協賛でついたお好み焼きの「千房」は、番組の人気が上昇するにつれて各地に店舗を拡大していったと言われています。
更に82年には、MBSTVで「突然ガバチョ」を始め、タクシー運転手に扮した鶴瓶さんが、ゲストと向き合わないでトークを交わす「つるべタクシー」や、日を「TVにらめっこ」のコーナーが評判を呼び、87年4月には上岡龍太郎さんとYTVでトーク番組「パペポTV」を始め、糸井重里さんのコピーが入ったポスターも話題を呼び、大阪城ホール(89年10月3日・92年5月13日)、や日本武道館(92年5月25日)でイベントを打つ人気番組となりました。そして、この番組のスタートと軌を一にしてフジテレビの「笑っていいとも」のレギュラーとなって、全国的な人気タレントとなっていったのです。
こうして、日常の世間話をエンターテインメントの域にまで高める鶴瓶噺という独自スタイルを確立する一方、本業の落語家としても2002年9月には春風亭小朝さんの誘いで、国立劇場での「芸の女神が微笑んだ」にゲスト出演して、「子別れ」と「化物使い」をやり、2003年には、落語界の斜陽を憂う、小朝さんや、林家こぶ平(現9代目正蔵)さん、春風亭昇太さん、立川志の輔さん、柳家花録さんらと共に「六人の会」を結成して、有楽町読売ホールで「東西落語研鑽会」をやり、2004年からは「大銀座落語祭」をはじめ、2007年には都合5日間で3万5千人を集めたといいます。
こうした経緯もあって、この年の10月27日から11月27日まで、第一回落語大秘演会「伊藤園 鶴瓶のらくだ」という全国規模の落語会が開かれることになったのです。場所は、福岡・嘉穂劇場、香川・金丸座熊本・八千代座、東京・歌舞伎座、愛媛・内子座、秋田・健楽館、京都・南座、大阪・松竹座という各地の名だたる大劇場で、8カ所で都合11公演を行うことになったというのです。タイトルに師匠の6代目松鶴さんの十八番のらくだを選んだのも、鶴瓶さんのこの会にかける意気込みの表れなのだと思います。
「これは何としても見なければ!」と思い、ようやくチケットが取れたのが最終日の11月27日、この日は朝10時半から、(5ℓ、2008年1月号)高橋英樹さんのインタビューが高輪プリンスホテルであり、12時20分品川発の新幹線で新神戸へ移動、神戸オリエンタルホテルでの兵庫トラック協会主催の講演会を済ませて、新大阪駅に着いたのが午後6時過ぎ、開演まであと20分というタイミングで松竹座に滑り込むことができました。およそ2時間のステージでしたが、「らくだ」の他に、「青木先生」や「ALWAYS-おかあちゃんの笑顔」などの鶴瓶噺も聴くことが出来て、楽しい時を過ごすことが出来ました。それにしても、松鶴師匠の写真を大写しにして「もっと芸事に精進します」と涙声で誓われたシーンは感動的でしたね。
以降ますます活躍されているのは喜ばしいことなのですが、どうして吉永小百合さんの映画から決まって声がかかるのかが不思議でなりません。サユリストではない私ですが、妬けますよね。

「5ℓ」での対談



京都産業大時には「あのねのね」のメンバーでした


新世界にこんなにたくさんの人が集まりました



つるべタクシー

コピーは糸井重里さんでした

「6人の会」



鶴瓶さんの葬式という設定から始まります


なぜか多い、吉永さんとの共演

「母べえ」(2008年)、「おとうと」(2010年)、「ふしぎ岬の物語」(2014年)、「北の桜守」(2018年)と4本に共演しています






