明けて2006年は、5回目の戌年となりました。兜町には「辰巳天井、午(うま)尻下がり、未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)は笑い、亥(い)固まる、子(ね)は繁栄、丑(うし)はつまずき寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)」は跳ねる」という株式相場の格言がありましたが、自分が年男になった戌年に笑ってばかりいたかというと、そんな記憶はなく、「かくあれかし!」という思いを込めて、大晦日から正月にかけて家族と共に能登半島へ出かけました。
まず最初に、北陸最古の神社といわれる白山市の「金劔宮」を訪ねました。何せ、「日本3大金運パワースポット」といわれる所ですから、ここを外すわけにはいきません。次いで、珠洲市にある、日本海一帯の守護神といわれる「須須神社」や、家康が永平寺と並んで能登の国の大本山と認めた、輪島市の「総持寺祖院」にお参りをしました。もちろん輪島の朝市や和倉温泉へも行きましたが、私にとっては「この1年を平穏に」とお願いすることが、何をおいても肝要なことだったのです。
旅行から帰った1月4日からは、再び元の多忙な日々が訪れ、講演やテレビ・ラジオ出演、打ち合わせ等に忙殺される日常が戻り、26日には和歌山県の木村良樹知事と県の広報誌「連」で対談、場所はたしか、海の見えるフレンチ・レストランの「オテル・ド・ヨシノ」でしたね。さらに2月3日には「5ℓ」3月号に向けて、衆議院会館で菅直人さんにインタビュー、10日には福岡の全日空ホテルで開催された「楽天新春カンファレンス2006」で講演、15日には大阪での地元・枚方市のキラキラプラザで開かれた講演会の後、中司宏市長にお目にかかりました。加えて、20日には東京八重洲にある丸善書店で、私が1年間パーソナリティをさせていただいた、ラジオ番組「元気e」を採録して、1月30日に丸善から出版された「プロに訊け」のトークイベントに出席をさせていただきました。
とりわけ大変だったのは、2月23日に自民党本部で開かれた「日本夢づくり道場」で、80人ほどの議員さんたちを前にした講演会でした。なんでも立党50年プロジェクトの一環として開設されたそうで、前年に大量当選をした小泉チルドレンの方や、若手国会議員の方たちの研修の場として、武部勤幹事長自らが主宰をされていました。一体どういう経緯でお引き受けすることになったのか、今となっては全く分からないのですが、多分「どんなところか、のぞいてやろう」という持ち前の好奇心が働いたのだと思います。
些かの緊張感もあって永田町の自民党本部を訪ねると、さっそく部屋へ通され、ほどなく笑顔の武部幹事長が現れました。「テレビでお見掛けしたまんまだなあ」と思っていると、傍らからその日の概略などの説明があり、促されて階下の会場へ向かう際に、武部さんから「木村さん、今度の選挙に出ない?」と囁かれたのです。多分、こちらの気分をほぐすために軽いジョークでおっしゃったのだとは思いますが、もし私が空気を読めず、言葉を真に受けて、「よろしくお願いします」と返したらどうされたのでしょうね。もちろん、自分がその任に堪えないことは、私自身が一番わかっていますけどね。
多少ざわついていた場内も、司会を務められた小此木八郎副幹事長や、続いて行われた逢沢一郎幹事長代理、トリをつとめられた武部幹事長のご挨拶の頃にはすっかり静まり返っていました。中には、旧知の中川泰宏さんや、杉村太蔵さん、井脇ノブ子さん、猪口邦子さん等、テレビで見知った顔の方を見かけるうちに、しだいに緊張感も薄れ、後半には、多少のサービス精神も込めて、「自民党と吉本興業は似ている」という話や、「5ℓ」に引っ掛けて「自民党は落ちている50代の支持率を上げなきゃいけないのではないか」という提言もさせていただいて無事終了、その後、若干の質疑応答を終え、会場を後にしようとしていると、中川さんから食事のお誘いをいただき、赤坂の「維新號」へ。自民党から頂いた薄謝を上回るご馳走をいただきました。
戌 笑う
金劔宮
須須神社
総持寺祖院
和歌山県の広報誌「連」
木村良樹知事との対談
眺望のいいオテル・ド・ヨシノ
枚方市の中司宏 市長
武部勤 幹事長
「日本夢づくり道場」での講演