そうそう、そんな最中、この年(2003年)の12月22日には、「都市公団」(都市基盤整備公団)から依頼を受けて、大阪・天王寺区の筆ヶ崎地区再開発の「まちづくりコンセプト研究会」のメンバーに名を連ねることになりました。ちょうど翌2004年7月1日に、「独立行政法人・都市再生機構」と名前を変える直前のことでした。事業構造を、従来の企画・構想から基盤整備や建築物整備までを行うフルセット型から、民間投資を最大限に引き出すバックアップ型に転換しようという狙いがあったのだと思います。大阪赤十字病院が、建て替え費用を捻出するために、都市公団に土地を売却し、都市公団は効率的に土地を運用するため、コーディネート業務に徹してソフトを提供し、ハード部分や事業は民間業者が担うことになり、おそらく賃貸住宅がメインになるだろうとのことでした。
「なんで門外漢の自分に声がかかったのか?」とも思ったのですが、メンバーを見てすぐに合点がいきました。座長・コーディネーターとして、過去に都市公団の依頼で東京・江東区の「東雲キャナルコートCODANプロジェクト」をプロデュースされた残間理江子さんのお名前が入っていたからです。他には関西大学大学院建築計画学科を出て、当時東洋大学助教授をされていた白石真澄さん、タレントで作家として「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」や「恋愛と介護」などの著作のあった遥洋子さん、スタンフォード大学のアジア太平洋研究センターで、医療問題の日米比較研究プロジェクト・マネージャーをされていた社会学者の西村由美子さん、大阪赤十字病院の本田孔士院長、ランドスケープ・アーキテクトとして多くの受賞に輝かれていた、奈良女子大教授の宮城俊作さん、そこに主催者の都市公団関西支社長の鈴木貴雄さんがお入りになるという形で会は進められることになりました。
まずは、委員会のメンバーが当該地区を視察すべく、大阪赤十字病院の屋上から街を眺めることになりました。最寄り駅の近鉄上本町駅には都ホテルもあり何度か来たことはあるのですが、JRの鶴橋駅や桃谷駅が至近距離にあるのには驚きました。赤十字病院があって、再整備のため、赤十字社が費用を捻出するため、隣接地を処分して、その跡地に高級マンションをつくった例は広尾ガーデンヒルズにもあるのですが、彼我のロケーションの違いに、やや戸惑いをみせた方もおられました。
この後、場所を「ホテルアウィーナ大阪」3階の「二上の間」に移して行われた会議では、「この辺りは、じゃりン子チエの世界だから・・・」とつぶやかれた方が2人ほどいらっしゃいましたね。はるき悦巳さんの「じゃりン子チエ」ファンで、中でもチエちゃんの親友で、「ウチ、ドン臭いねん!」と呟く平山ヒラメちゃんのファンの私としては、「あの漫画に描かれたのは、西成区(原作では頓馬区)西荻町です」と訂正をしたかったところですが、そうおっしゃった背景には、「三丁目の夕日」と同じく、「懐かしい昭和の世界を思わせる風景が残っていますね」とおっしゃりたかったのだろうなと思い直しました。
因みに、公立学校共済組合の経営するこのホテルは、以前、「なにわ会館」という鄙びた名前だったのですが、いつのまにか「アウィーナ」という名前に変っていました。AWINAの由来が知りたくて、フロントで訊ねると、「NANIWAを反対から読んだだけ」と答えてくれました。このいい加減な所が大阪らしいのです。東京ならたとえこの名前で稟議を上げても、まず通らなかったと思いますね。
それは余談として、この日の会議では、赤十字病院が近接しているメリットを活かした「メディカル・タウン構想を核に、この地をグッドアドレス化する」方針を決め、次回以降に地区のゾーニングやネーミングを話し合うことになりました。
チエちゃんの親友、鈍くさいヒラメちゃん
鈍くさいくせに相撲は強いヒラメちゃん
チエちゃんが住んでいるのは、こんな町並みです