そうそう忘れていました。ラスベガスといえば、私がこの地を訪ねたのは実に8年ぶりだったのですが、以前とは異なり、すっかり家族向けの街の変貌していたことに驚きました。おかげで、かつては禁じられていた、子供たちとも一緒にショーを楽しむことが出来ました。たった4日間の滞在にもかかわらず、欲張って4つのショーを観たのですが、さすがに旅の疲れもあってか、初日の「フォーリー・ベルジュール」というレビューの時は、眠気に勝てず船を漕いでいたように思います。ただ、ランス・バートンのマジックショーや、「オー」「ミスティア」などシルクドソレイユ系のパフォーマンスはそれなりに楽しむことは出来ました。
「マダム・タッソー」という、かつてロンドンで入った記憶のある蝋人形の館を訪れ、ジェームス・ブラウンが「ゲロッパ」と歌っているのを耳にした時には、思わず井筒監督の顔が目に浮かびました。
ショッピング街も充実していて、ビア・ベラ-ジオなどの高級ブランド街へは妻に手を引かれ何度も訪れる羽目になりました。そうそう、このベラージオホテルで、「K1ワールドグランプリ2003ラスベガスⅡ」を開催された石井館長と谷川貞治プロデューサーにもお目にかかりましたね。
ただ、食事だけはイマイチで、3・4日目には「ノブ」を訪ね、日本食をいただくことにしました。満足感に浸りながら食後のデザートをいただいていると、チーフシェフの中野さんから、北米で4000万人、カナダで1000万人に被害の出た「北アメリカ大停電」のニュースを聞かされたのです。「よかった!」例年なら間違いなくニューヨークを訪ねていました。カンが働いたのか、なぜかこの年は早くからラスベガスへ行こうと決めていたのです。すぐに、ニューヨークのチャーリー小林さんに電話をすると、「29時間も停電が続いて、電車がストップ、人が大渋滞する中を、ブルックリン橋を歩いて家まで帰った」と言います。おまけに気温が30度を超す中、エアコンも使えず大変な思いをしたとかで、行かなくて本当に良かったと思いました。
そういえば、阪神大震災の時、私は東京に居たし、サリン事件の時は大阪に居ました。無意識のうちに災から逃れていました。よく言われるように、先祖が守ってくれているのかもしれないとさえ思いました。そんなことを考えながら帰国して、翌朝テレビを視ていると、「ラスベガス、洪水で民家が孤立」というニュースが流れました。何と1日で1年分の雨量があったといいます。もし私たちの出発が、あと1日遅れていれば大変な目に巻き込まれていたかもしれないのです。この時はさすがに、「災難が妻だけで、いや妻の買い物だけで済んで良かった」と思いましたね。さらにその次は、「京阪電車踏切事故で脱線」というニュースが続いたのです。大阪にいる時はいつも私が利用している電車です。時間帯が違うとはいえ、やはりこれも逃れることが出来ました。私の「普段の心がけが良かった」からなのでしょうか、いやいやそんなことは間違ってもあるわけがありません。ここはやはり「先祖のお陰」と、謙虚な思いに至って墓参りをしなきゃとは思ったのですが、「暑いし、蚊に刺されるしな・・・」などと躊躇している内に、日は過ぎていきました。
「フォーリー・ベルジュール」
ランス・バートン
「オー」
「ミスティア」
「マダム・タッソー」
ジェームス・ブラウン像
ビア・ベラ-ジオ(高級ブランド街)
K1館長 石井和義さんと谷川貞治さん
NOBU ラスベガス
人でごった返すブルックリン橋