木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 私自身が今までにこういう経験がなかったこともあって、余り細かいルールを決めずに1期を終えたのですが、反省を込めて次回から修正をしなきゃいけないと思ったことはありました。まず、100人という人数が多すぎて、どうしても、塾生の方々とのコミュニケーションが取り切れなかったのではないかという反省がありました。積極的な人は、講義の終わった後に誘い合って飲み会に行くなどをしていたのはいいのですが、どうしてもシャイな人が孤立をしがちだった気がしたのです。たしかに、経験を積まれた講師の話には説得力もあり、それはそれで素晴らしい体験だとは思うのですが、どうしても一方通行になって、塾生の方々がただ聞くだけに終わってしまっていたように思えたのです。そこで、2回目からは、ツーウェイ化するためにも、人数を50名程度に抑え、会場も広く部屋の中に柱が立っていて死角の出来る御堂筋ホールから、天満研修センターに変え、6回の講義の前半3回は2期以降、(各期によって、時にフリーアナウンサーの近藤光史さんや、名古屋のペアレンツ代表の横田佳代子さん、タレントのパリー木下さんから、転身してカラーセラピストになった木下代理子さんなどにお願いをしたこともありましたが)原則的に私が受け持ち、30~40分の講話をした後に、塾生さんたちとの質疑応答を行うように変えました。

 加えて、後半の2回は演出家の湊裕美子さんにお願いし、全員が参加して滑舌・発声からグループでのエチュードまで、豊富な演出経験に基いた「湊メソッド」による訓練を行っていただくことにしました。もちろん各講座の後半のグループ・ディスカッションはそのままで、最終日6回目には各グループごとに、企画の提案と、その趣旨を織り込んだパフォーマンスを発表していただくようにして、私と湊さんが審査して表彰することにしました。なかには、「なんでそんなことをしなきゃいけない」と拒否をされた高齢の男性経営者の方もおられましたが、結局まわりのグループメンバーの皆さんに説得をされて、発生や滑舌こそされなかったものの、最後の発表会までグループのメンバーとして残られました。最終発表が迫ってくると、近くの公園などで自主的にパフォーマンスの練習を行うなどグループの絆も一気に深まっていきました。今までの頭だけの座学に、体を使って行う講座が加わって、一気に熱い塾となっていきました。合わせて研修所のあった天満橋駅近辺は、少し気取った心斎橋と違って、市場や日本一の長さのアーケード商店街が密集する庶民的な盛り場にも近く、飲み屋さんや食事処に事欠かなかったのも幸いしたのかもしれませんね。

 こうした定員や場所の変更、講座のカリキュラムの改革に加えて、有名塾ならではのコミュニケーション・ツールとして、私とのツーショット写真と共に、「自ら考えたオリジナルな肩書入りの名刺」や、塾生の皆さんと私のコミュニケーションを深めるための手段として、「交換日記」の用意をしました。自分で積極的にどんどん前へ出るような人はいいのですが、シャイな人はどうしても人前で話すことが出来ず、こちらの目にも留まらないで、欲求不満を抱えたままに、終わってしまうような事態を回避したかったのです。毎回の講義の後には、必ず「交換日記」に記入をしていただき、次回の講義の始まる前には皆に返却をしなくてはならないのですから、結構エネルギーを要する作業ではありましたが、何度か繰り返すうちに、だんだんと楽しくなって、塾のある前の日に約2時間ほどをかけて、一気に書き上げていたように思います。およそ学生時代にもしたことない「交換日記」が、まさかこれほど楽しいものになるとは、夢にも思っていませんでしたね。

 

 

有名塾ならではのカリキュラム

天満研修センター

フリーアナウンサーの近藤光史さん

横ネエこと、横田佳代子さん

パリー木下さん

 

カラーセラピストになった木下代理子さん

駅近辺の飲み屋さん

結構エネルギーをいる作業でした

交換日記イメージ