木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 正月明けの8日には、ミキハウスさんからご依頼をただいた講演会をリッツカールトンホテルで終え、その後NHKで上方芸能の編集長をされていた木津川計さんの「関西ラジオワイド」にゲスト出演。9日に東京パレスホテル、10日に広島リーガロイヤルホテル、11日にホテル宍道湖、14日に福岡日航ホテルで行われた、岩谷産業さん主催の講演会に連続してお呼びいただき、順調に新年のスタートを切ることが出来ました。岩谷産業さんもミキハウスさんと同様に、一柳さんとのご縁で参加させていただいたベンチャーコミュニティがきっかけでお付き合いが始まったのですから、感謝の他ありません。

 そうそう、2月25日には、全く面識のない、ある著名な女性歌手の方が東京から単身で事務所へお越しになり、「マネージメントを引き受けて欲しい」と依頼されたこともありました。全くノウハウのない私などに到底アーチストマネジメントなどができるとも思えず、「いずれ何らかの形でご協力できることがあれば」と丁重にご辞退をさせていただいたのですが、約2時間ほどいてお帰りになったあと、しばし優雅なお人柄を偲んで甘美な思いに浸っていると、いきなり「こんちはっ!」と事務所の静寂を破るかのように、勢いよく訪ねてこられた女性がおられました。

 辻元清美さんでした。MBSラジオの「朝はとことん菊水丸」という番組を彼女が降板された後、2002年5月10日から少しの間、私が引き継いで務めていたご縁はあっても、お会いしたのはこの時が初めてでした。いったい何の用件だろうと思って尋ねると、この年の4月23日号の「女性自身」で、私が彼女を表して、「面白いキャラだとは思うけれど、服装のセンスが良くない」と言ったのを根に持って、「一体、どんな、おっさんかを見に来た」というのです。言われてみれば、たしかに、おっさんと呼ばれる年齢には違いないのですが、面と向かって「おっさん」と言われたのはこの時が初めてのことでした。ちょうど、彼女が雌伏を余儀なくされていた時期で、議員を辞職されていたと思うのですが、小学生の頃に、自分のランドセルを弟さんに持たせて心斎橋を歩いた話などを一方的にして帰って行かれました。まるでフランス料理の〆にキムチを食べたかのように、先ほどまで漂っていた優雅な雰囲気が、消し飛んでしまいました。

 辻元さんはその後、2004年6月に社民党を離党して、無所属で衆院選に立って、全国の落選候補の中で最多得票数を獲得したものの、当選が叶わなかったこともあり、8月30日台風襲来の日に、JAの中川会長と共に、京都の木屋町御池にある、仏蘭西と京都を融合させた、モダンフレンチ・レストラン「おがわ」で激励会をしたのを憶えています。当初は、私が中川会長からお誘いを受けたのですが、「辻元さんを誘ってもいいですか?」とお聞きしたところ、快くご了解をいただいたのです。この時はまさか、2005年9月の衆議院選挙に、お二人がともに立たれるとは想像だにしておりませんでした。小泉総理から白羽の矢が立って自民党から出られた中川さんは、僅差ながら無事当選、辻元さんは社民党から出て、比例区近畿ブロックながら、無事3回目の当選を果たされました。むろん、私はお二人の立会演説会に行かせていただいたのですが、この年の選挙には今一人、予てよりお付き合いさせていただいていた、山梨1区の民主党、小沢鋭仁さんの決起集会にも出させていただき、この方も無事当選をされたのです。応援させていただいた方、都合3人の全員が当選を果たされたことになります。

 中川さんが自民党で、辻元さんが社民党、小沢さんが民主党と、それぞれ政党名は異なっていたのですが、政党名よりも、個人として魅力のある方を優先した結果が、たまたまそうなっただけのことで、私にとっては、何ら矛盾することではなかったのです。

 

 

 

誰がおっさんやねん!!

こんな風に姉・弟で下校していたのですかね

センスが悪かった頃の辻元さん

思えば随分、センスが良くなりました

モダンフレンチ・レストラン「おがわ」

自民党時の中川泰宏さん

小沢鋭仁さん