木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 もちろん、「次に何をするか」を考えるのは重要なことではあるのですが、せめて年内はゆっくりして、翌年の3月くらいに「大まかな輪郭が見えてくるくらいでいいかな」と思ったのです。考えてみれば、「出入口」という言葉は「出る」方の字が先に来ていますし、「呼吸」という言葉も、静かに息を吐くという意味の「呼」という字が先に来ています。まずは、焦らずにゆっくりと構えて、興味が湧いて、自分がお役に立つことが出来れば、お引き受けをさせていただこうと決めたのです。イギリスの詩人・シェリーの「西風に寄せる歌」の一節に由来する、「冬来たりなば 春遠からじ(If winter comes, can spring far behind)」という心境でした。

 当時の手帳を見ると、なぜか、11月24日に道頓堀のKADOZAへ「たそがれ清兵衛」という松竹映画を観に行っています。嘗て私も読んでいた藤沢周平さんの短編を、山田洋次監督が映画化した作品で、初の時代劇に挑戦した真田広之さんが、主役の井口清兵衛を演じていた人情味あふれる作品となっていました。暮らしが貧しく、仕事が終わる黄昏時には、同僚の誘いも断り、そそくさと家に帰る様を見て、同僚たちから「たそがれ清兵衛」と揶揄されていた主人公に思い入れをしたのか、それとも、庄内・海坂藩の、うらなり与右衛門、ごますり甚内、ど忘れ万六、だんまり弥助、日和見与次郎、祝い人助八など、個性あふれる藩士たちを戯画化して描いた各々のキャラクターに惹かれたのかは分かりませんが、「そそくさ」と帰宅したことなどない私が惹かれたのは、やはり後者の方だったように思います。「だんまりは誰で?」、「日和見は誰?」などと、小説に描かれたキャラクターを、嘗ての同僚に当てはめて、懐かしんでいたのかもしれませんね。

 仕事をしながら、社の内外からお招きをいただいた送別会や慰労会に顔を出している内に12月も半ばを迎えていました。この頃、私の頭を悩ませていたのは、「正月をどうして過ごそうか?」ということでした。何しろ、33年間の吉本時代には、ついぞ家で過ごしたことなどなかったのですから、どう過ごしていいのか、分からなかったのです。いろいろ考えてはいたのですが、ふと富士山を見たくなり、79年に日本観光地百選の平原部門で1位に選ばれた、静岡の日本平ホテルに泊まることにしました。いつぞや、熊本県民テレビ社長の西野さんから聞いた「初めての場所へ行く時は、高い所に登って町全体を俯瞰する」という言葉が耳に残っていたのだと思います。たしかに、人生は登山と似ていて、高みに向かっていくとだんだんと息切れはするのですが、その分視界が広がっていくのかもしれません。

 それなら、いっそ標高3776mの富士山に登れば良さそうなものですが、そこまで体力に自信がなかったこともあって、「これでも一応、高みであることに変わりはない」と、標高300mの日本平を選んだというわけです。今となってはなぜか分かりませんが、この時にふと、北斎の三保の松原から富士山を望む画が頭に浮かんだように思います。私もこの頃には、全国津々浦々を訪れてはいたのですが、日本平へ行くのはこの時が初めてのことでした。年の瀬も迫った頃にそう決めて、ホテルの予約をしようと思ってはみたものの、さすがに年末年始とあって予約は取れず、家族4人で泊まれる部屋が取れたのは、1月3と4日の2泊だけでした。

 3日に京都から向かった私が、静岡駅で東京から来た家族と合流したのは午後3時半のことでした。朝に楠葉の家を出る時、珍しく雪が降っていたこともあって、天候を心配していたのですが、日本平もやはり雨。あいにく富士山は全く見えず、この日はホテル内の富貴庵で食事をしただけで、早々にベッドに入りました。明けて4日は、前夜の雨が嘘のようにスッキリと晴れて、念願の富士山を眺めることが出来ました。満更、「私の心がけが悪いせいでもなかった」と気持ちを取り直し、ロープウェイに乗って、徳川家康を主祭神とする久能山東照宮にお参りをした後、嘗てお付き合いをいただいていた地元の物流グループ・鈴与株式会社が経営する、清水市(現静岡市清水区)の「エスパス・ドリームプラザ」へ出かけ、中にある「清水すし横丁」で食事をしようと思ったのですが、満員のためにあきらめざるを得ず、仕方なく、丹青社さんが手掛けられたと思われる、館内のレトロな商店街の方に足を進めると、なんと、「コメディNo.1来たる」というポスターが目に入ったのです。おかげで、早々にその場を離れ、同じ清水の銀座商店街の方に皆で移動するはめになりました。コメディNo.1のお二人には何の恨みもなく、むしろ好きな人たちだったのですが、吉本を離れ、せっかく気分を一新すべく訪れた地で、吉本のタレントさんのステージを観るのも如何なものかと思ったのです。

 

原作

映画のポスター

うらなり君

ごますり君

ど忘れ君

だんまり君

日和見君

日本平ホテル

部屋から見える富士山

富士山 三保の松原をのぞむ

北斎の富獄三十六景図

久能山東照宮

エスパス・ドリームプラザ

 

どこかで見たレトロな街並み