感性リサーチの専門家・黒川伊保子氏によると、ヒトの脳は7年ごとに位相を変えるそうで、「生殖のために生きる人生」を、49歳に「新たな目的の人生」に切り変えて7年目の56歳に、ヒトの脳は「新たな目的」にも慣れて、ブイブイ言わせるモードに入り、人生の最高潮=出力性能最大期を迎えるのだと言うのです(「成熟脳~脳の本番は56歳から始まる~」新潮文庫)。まさに、当時の私の年齢だったのです。
なるほど、この年の9月には、「吉本興業から学んだ人間判断力」(講談社)を、続いて翌2003年6月には、「五十代からは、捨てて勝つ」(PHP)、10月に、「こうすれば伸ばせる!人間の賞味期限」(祥伝社)、11月に「やすし・きよしと過ごした日々」(文藝春秋社)に加えて、テリー伊藤さんとの共著で「人をつくるという仕事」を出版しています。
それまで、テレビの演出家・伊藤輝夫として、業界ではつとに知られた存在だった方ですが、大手版社がしり込みをした中、敢然と引き受けてくれた中小出版社「コスモの本」から93年に出した「お笑い北朝鮮」がヒット、95年にニッポン放送の「天才テリーのダマスカス」(のちに「テリー伊藤のってけラジオ」にタイトルを変更)でパーソナリティを務めた辺りから、テレビやCM、活字など、表に出て多彩な活動をされるようになっていました。当時はそんなこともあって、超多忙なスケジュールを抱えておられたのですが、有難いことに、「浅ヤン」時のよしみもあって、私との本にお付き合いくださいました。
そうそう、この年の4月には、漫画「ナニワ金融道」で第16回講談社漫画賞や、第2回手塚治虫文化賞優秀賞を受賞された、青木雄二さんの「激刊!青木雄二」で青木さんと対談をさせていただきましたね。90年から講談社のモーニングで「ナニワ金融道」を連載をされ、この漫画を見るためにモーニングを買っていた私にとっては、小学館のビッグコミックで、「ゴルゴ13」を連載されていた、さいとう・たかをさんに並ぶ、憧れの存在でもありました。
青木さんは、鉄道会社に5年勤めた後、役場勤めを僅か3か月で辞め、以降、キャバレーのボーイ、パチンコ店の店員など水商売を中心に、30以上の職種を転々とした後、漫画家に転身、自らの体験をもとに描いた「ナニワ金融道」が、97年に通算1000万部を突破、「一生暮らせるだけの金は稼いだ。残りの人生は遊んで暮らす!」と宣言をして、出筆活動を引退されていました。とてもヘビースモーカーで、私とは意気投合をしたのですが、この年の9月、肺がんでお亡くなりになりました。「青木さんはハイライト(タール17mg、ニコチン14mg)を吸っておられ、私はそれより軽いメビウス(タール10mg、ニコチン0.8mg)だから!」と、勝手に解釈をして、今も止めずに吸っています。
それはともかく、テリーさんのように多様な才能があるわけでもなく、青木さんのように一生遊んで暮らせる金があるわけでもない私は、「さて、これからどうしていけばいいのだろう?」と考えなくもなかったのですが、「一度、職安へ行って、面接官に、個室と美人秘書が付いて、給料はこれくらいを希望します」と言ってみたら、「どんな返事が返って来るかな?」なんて嘯いていましたね。もちろん妻からは「そんなこと、あるわけ無いでしょ!」と言下に否定をされてしまいましたがね。
コスモ・ブックス
美人秘書(イメージ)