11月9日にはCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の社長「増田宗昭さんを励ます会」に出ました。もともと、増田さんとは全く面識はなかったのですが、大阪の「プラン・ドゥ」という会社が発行していた雑誌に掲載されていた増田さんの記事に興味を引かれ、この人に是非会ってみたいと思い、OBP(大阪ビジネスパーク)にあった会社まで押し掛けたことがありました。当時まだ資本金が100万円の時代に、フランチャイズ展開を目指して1億円もかけて導入したコンピューター・システムなどを見せてもらったあと、デスクでじっくりとお話を伺うことが出来ました。なかでも、「これからの企業が成長していくためには、企画会社化していかねばならない」とおっしゃった言葉が印象に残っています。その後、NHK時代に花紀京さんが「コメディ公園通り」でお世話になった吉儀彰さんが、増田さんのヒューズ・エレクトロ社と設立された「ディレクTV」に転社されたこともあって、恵比寿ガーデンヒルズでお会いしたことはあったのですが、ほどなく吉儀さんが急逝されたこともあって、お目にかかる機会もなく過ごしていました。そんな折、1通の封書が届き、中を見ると、アミューズの創業者である大里洋吉さんの呼びかけで行われる、ディレクTVの社長を解任され、失意の中にある「増田さんを励ます会」へのお誘いだったのです。
「これは是非参加しなきゃ!」と思って天王洲アイルまで出かけたのはいいのですが、パーティ会場は何とクルーズ船の中、戻って来るのは2時間後、乗った途端に後悔、いや航海しましたが、後の祭りとはこのことです。「遅れて来る事も、途中で帰ることもできない」「義理で顔を出すこともできない」という招待者側の見事な戦略の勝利でした。それでも招待状を出した100人余りの人がほとんど集まったといいますから大したものです。もしかしたら、この一夜の出来事が、増田さんが再発進された一助になったのかもしれません。
この翌週、17日には山の上ホテルで、毛利子来(たねき)先生にお目にかかりました。原宿で55年間開業されていた小児科の先生で、ポーランドの小児科医で児童文学者でもあったヤヌシュ・コルチャックが提唱した「子どもの権利」という概念に共鳴されて、「基準や平均にとらわれた画一的な育児論」に疑問を投げかけ、子供の立場だけではなく、親の心情を捉えた教育論を展開されている論客でもありました。毛利先生を知っていたのは妻の方で、子育ての悩みをいろいろ相談していて、「素晴らしい先生だから一度会ってみれば」という妻からの紹介もあって、お目にかかることになったのです。「山の上ホテル」は古くから川端康成や三島由紀夫、池波正太郎など、多くの文人に愛された静寂な雰囲気のホテルでした。喫茶室でお目にかかった毛利先生が、子供たちから「たねき先生」をもじって、「たぬき先生」と愛称で呼ばれる柔和な表情を浮かべながら、「親や教師が子供だけを対象化し、客観的に見て、観察して、どういう状態かということを推測するのは、大人の思ういい方向に向かわせたいからでしょう。そのために導きたい。叱りたい。僕はそうしたくないんだな。」と、「型にはめない自由な子育ての大切さ」を話されたのが印象に残りました。そんな毛利先生も2017年10月26日、88歳でお亡くなりになりました。そうそう、この毛利先生の書かれた「子育ての迷い解決法 10の知恵」もたしか、99年12月に発売された集英社新書第一弾のラインナップにも入っていましたね。
CCC 増田宗昭さん
アミューズ 大里洋吉さん
毛利子来先生
ヤヌシュ・コルチャック氏