木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 大連のことは現地にお任せするとして、次にオファーをいただいていたのが、1990年小樽市とマイカルグループが協議をして、マイカルグループとJR北海道が共同出資した小樽ベイシティ開発が、国鉄清算事業団から取得した跡地に、99年オープンする予定の「マイカル小樽」への参加でした。キーテナントは小樽ビブレ、他に総合スーパーのサティ、シネコンのワーナー・マイカル・シネマズ、専門店やスポーツクラブ、ホテルヒルトン小樽までを併設した当時としては国内最大級の大型商業施設への参加でした。

 かつて、港湾都市として栄え、21もの銀行や、商社が集積し、「北のウォール街」と呼ばれた頃ならともかく、定住人口15万人の街で果たして採算が取れるのかという懸念はありましたが、マイカルさんが進出を決められた背景には、小樽運河沿いのブロムナードが整備され、86年に63基のガス灯が設置された辺りから、レトロな街並みと共に観光地としての評価を高めていたことがあったように思います。北一硝子の工芸館、運河から200メートルの至近距離にある小樽寿司屋通り、それに何と言っても大きかったのは91年に開設した石原裕次郎記念館でした。3歳から9歳までの6年間をこの地で過ごされたという縁で、裕次郎さんの死後4年で作られたこの記念館は、2年目に126万人の入場者を数える人気スポットになっていました。

 私個人的には、村松友視さんの小説『海猫屋の客』で知られる、増山誠さん経営の、地元、後志(しりべし)の食材に拘った3階建のレンガ造りレストラン、「海猫屋」がお気に入りでした。今一つは駅近くの静屋通りにある「キャバレー現代」、ニシン漁3大網元の1つ白鳥家の別宅だったものを、戦後の48年に進駐軍向けのビアホールに改築、「GENDAI」としてスタートしたのですが、51年キャバレー現代に改称、日本人も入れるようになって一時期はホステス50人を抱えるほどの人気を博していたのですが、晩年にはホステスさんの平均年齢が60歳を超えるようになり、中には70・80歳を超えるホステスさんも在籍するようになっていました。当然、若者は札幌のすすき野へ流れ、店に来るのは地元の高齢者と、怖いもの見たさの観光客ばかりになっていました。私もその中の一人で、マイカルの坂下さんたちと行ったのですが、天井が高くて、中央にダンスフロア、バンドステージもありました。ゆっくりとした背もたれの赤いソファーに座ってホステスさんと話をしたのですが、この種の店にありがちな隠微な気配などさらさらなく、まるで母親と話をしているようでした。10時を回ってふと見るとコックリコックリと船をこいでいるホステスさんもいましたね。1時間ほど滞在して、料金は1人5000円ほどだったと思いますが、これが高かったのか安かったのかは判断の付きかねるところです。残念なことに、「キャバレー現代」は99年秋に50年の、そして「海猫屋」も2016年9月に40年の歴史に幕を閉じました。「キャバレー現代」の方はホステスさんが皆、息絶えたので仕方がないとは思いますが、「海猫屋」さんはもっと続けて欲しかったものですね。もう一つ、泊まったことはなかったのですが、旧北海道拓殖銀行を改装したレトロ感漂う「ホテル ヴィブラント オタル」も素敵でした。金庫室を改装したバーで一度(ジンジャーエール)を飲んでみたかったものです。残念ながらここも2017年2月に閉じてしまったそうです。

村松友視・著「海猫屋の客」

海猫屋

海猫屋オーナーの増山誠さん

小樽運河

小樽の寿司屋通り

キャバレー現代

当時のスタッフと女給さんたち

ガラス工芸館

ホテル ヴィブラント オタル