木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 マイカルタウンの展開はその後も続き、95年3月の桑名、97年10月の明石に続いて、98年秋にはマイカルとしては初めての海外進出となる中国の遼寧省の大連に、現地法人と共同出資の大連国際商貿大厦、99年春には小樽ベイシティ、秋には近江八幡への展開が予定されていました。協議を重ねるうち、我が社には大連と小樽への参加を要請され、まずは現地の状況を把握するため、大連へ飛ぶことになりました。6月初めの金曜日大阪を飛び立って、日本から同行していたマイカルエージェンシー常務の坂下さんと共に、大連で現地法人の小森社長や嶌副社長と現地を見て会食、DRIAN FURAMA HOTELに泊まり、翌日午前中観光をした後、香港に移動、8日月曜の会議を経て、マイカルさんとの協議に臨みました。

 マイカルさんの思惑としては、600万人を抱える大連が、かつて日本統治時代に、彼の地が満州国の貿易量の75%を担っていたことや、中国東北部の経済成長のエンジンとして、今後ますます発展が見込まれること、多くの日本企業が進出していることなどを勘案して進出することを決められたのでしょうが、物販ならともかく、「吉本の常設劇場を作るというのは無理があるのではないか」と伝えました。いくら前を通った社員に「君、寒い所が好き?」と聞いても、札幌へ行くのとはわけが違います。とても「はい」と承知して赴任した木山君のような社員が見つかるとは思えません。ロシアが統治時代に名付けた、東清鉄道の終着駅名「ダルニ―(遠い)」を語源とする大連は、それほどに遠い土地なのです。

 小説の「アカシアの大連」というイメージが強く、何となくロマンチックなイメージを抱いて訪れたのですが、実際に街を歩いてみると、人が行きかう路上で普通に散髪をしている風景を見て、「衛生」という観念のなさに驚きましたし、信号のない道路を渡る時、スピードを落とさず、猛スピードで走ってくる車をよけるタイミングが取れずに苦労もしました。逆に、いい意味で驚いたのはスタイルのいい美人をけっこう見かけたことです。聞けば大連は美人の産地として有名で、ガイドさんに聞くと、中国のファッションモデルの7割は大連の出身だと誇らしげに教えてくれました。この辺りの事情は日本も同様で、昔から秋田美人や越後美人と言われるように、日本と同様に東北の女性は肌の白さと身長の高さを併せ持つということかも知れません。そういえばパリでもクレージーホースや、フレンチカンカンで有名なムーランルージュの踊り子さんの大半は北欧生まれだと聞いたことがあります。同じ熊でも、北海道のヒグマと、本州のツキノワグマでは大きさに違いがあることを思えば、気候と身長の高さには相関関係があるのかもしれませんね。

 9月19日、福岡から飛んで臨んだ大連国際商貿大厦のオープ二ング・セレモニーに出席させていただいたディスコ会場で、ドラゴンダンスショーを見ていたら「いやー、参りました、オープン記念のノベルティ商品が予定個数を上回って配布を取りやめたら抗議が殺到した」「スタッフ用に用意した弁当がスタッフの数の倍も必要になった」「スタジオの機材が次々無くなる」というお話を坂下さんからお聞きして、「あー、関わらないで本当に良かった」と思いましたね。その後、建設を請け負われた清水建設さんも、工事費の4分の1が未回収のまま終わったことを考えると、彼の国とのお付き合いは本当に難しいなと思わされた出来事でしたね。

 そうそう、この年の11月29日から12月1日には、「アジア・パシフイック・フォーラム96」にお招きを受け、上海まで出かけましたね。このフォーラムは、93年から野村證券(取)相談役の田淵節也さんと、朝日新聞アメリカ総局長の船橋洋一さんが中心となって毎年開かれアメリカアジア太平洋各国の有識者を10~12人招き、知的対話を通じてアジア・太平洋の政策研究のあり方を模索しようというもので、アメリカ・イギリス・中国・韓国の方々に加えて、日本からは山口大学・広中平佑学長や東京相和銀行副社長の長田哲夫さん、ヤオハングループ代表の和田一夫さん、上智大学市川博也教授らに混じって私というメンバーでした。多分上海パフォーマンスドールや、マイカル大連さんとの話があってのことだろうとは思いましたが、これも何かのご縁と思い参加させていただきました。

 私個人の受け持ちは30分のスピーチと、あとはセッションに参加するということでしたが、セッションを通して感じたのは、中国や韓国の方がまず自国の自慢から入るのに対して、アメリカやイギリスの方は必ずユーモアから入られたことでした。私?私はもちろん後者の方でしたよ。というより、それしかなかったのですけれどね。

アカシヤの大連

旧満鉄本社ビル

満鉄ホテル経営の大連ヤマトホテル

大連駅前を走る市電

大連駅(上野駅に似てます)

麦凱楽大連商場(マイカル)と大連瑞詩酒店(スイスホテル)

宿泊したホテル

当時の企画書