木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 横澤さんが、東京支社長として赴任されたのは、95年2月半ばのことでした。その後、6月の株主総会を経て常務に就任されたのですが、林専務からは招致の理由についてはさしたる説明もなく、ただこちらが忖度する他なかったのですが、東京における吉本のステータスを、内外共、更に上げていくためであったであろうことは想像がつきました。そのためには、今までの知見に加え、やはり横澤さんのようなビッグネームが社の看板として欠かせないという事だったのではないかと想像する他ありません。私にしても、これまで折に触れて、何かとアドバイスを頂いてきた横澤さんが身近に居られたら、これほど心強いことはありません。何なら横澤さんの下について、もっと学ぶことが出来たらとさえ思ったくらいです。そう言えば、林専務が私のデスクに来られて、「横澤さんを常務にするけどいいか?」と聞かれたことがありました。「いいじゃないですか」と答えると、「それならいいけど、そうなったらお前が辞めるという噂があって・・・」とおっしゃったので、「横澤さんを実際に誘ったのは私ですよ、そんなわけあるわけがありませんよ」と返すと、「それならいいけど」と帰って行かれたことがありました。訳知り顔につまらぬことをはやし立てる社内雀というのは、どこにでも生息しているものです。

 そんな事情もあり、3月17日にオープンを迎える、渋谷公園通り劇場の初日こそは顔をだしましたが、あとは谷良一君ら当時東京にいたスタッフに任せ、以降のことは横澤さんの指示を仰ぐようにと私の手を離すことにしました。フジテレビさんには、横澤さんへのご配慮もあってか、かねてから重村局長にお願いをしていた劇場からのベルト番組を生放送していただけることになりました。タイトルは「今田耕司の渋谷系うらりんご」、MCの今田君の他、東野幸治、極楽とんぼ、山崎邦正、ナインティナインなど自社のタレントに加え、フォークダンスDE成子坂、山本太郎、鈴木蘭々、矢部美穂さんといった人や、まだ華原朋美という名前になる前の、「遠峯ありさ」さんに加え、「うらりんギャル」という女の子たちが出演していたように記憶しています。

 当然横澤さんが来られて、東京を担当されることは予測されたので、私の大阪シフトを進めていくうちに、今までより深くお付き合いをするようになった方もおられました。その中のおひとりが、株式会社リップの古曳良英さんです。もちろん、ABCの「あっちこっち丁稚」に出てくる着ぐるみの「伝次郎」や、KTVの「さんまのまんま」の「まんまちゃん」を製作された会社の社長だという事は存じてはいましたが、収録時にお会いするだけで、それほど、じっくりとお話をすることもなかったのですが、ふとしたことで食事を共にすることになり、以降ABCのテレビ制作部長をされていた長崎直定さんなどを交えたりして、お付き合いを深めるようになりました。

 長崎さんはそのお名前から、「ばってんさん」という愛称で呼ばれていた方で、当初はカメラマンとして入社をされたとかで、嘘か真か、番組の収録の最中に、当時貴重品だったテレビカメラを崖の上から落下させたことがあるという逸話で知られた人でした。一見、ぶっきらぼうで尊大な方に見えたのですが、お話をすると、とてもチャーミングな方であることがわかりました。ただ、カメラ落下事件の真相だけは、ついにお聞きすることは出来なかったのが心残りです。こうして何度かお付き合いを重ねるうちに、古曳さんの会社が着ぐるみを使ったイベントをしていて、大手スーパーの「ニチイ」さんとお付き合いがあることがわかり、「一度、ニチイの方に会ってみませんか?」という運びになったのです。

 

 

 

 

司会の今田耕司君

 

 

うらりんギャル

 

 

古曳良英さん

 

 

「あっちこっち丁稚」

 

 

あっちこっち丁稚に出演中の「伝次郎」

 

 

「伝次郎」

 

 

「まんま」ちゃん

 

 

「トラッキー」もこの会社です

 

 

長崎直定さん

 

 

※イメージです