木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 Jd‘はその後、全女から引退していた神谷美織が覆面レスラーCoogaとしてカムバック、新人もデビューして、ヒールに転向したライオネス飛鳥との抗争などもあり、徐々に団体としての形は出来てきたのですが、全女出身のジャガーがコーチを務めていたこともあって、育成法も全女と被る面が多く、いかんせん地味な印象を与えたのは拭うことが出来ませんでした。

 とは言え、現場では、ただ手を拱いていたわけではなく、Jd’の覆面コミッショナーを務める桂三枝さんの命で、お弟子さんで、ラジオ・パーソナリティの高杉二郎さんをリングアナウンサーに起用したり、坂田利夫さんをコミッショナー役にして、リング上で、「リットン調査団」VS「雨上がり決死隊」による「お笑い王座決定戦」なるトーク・バトルをするなど、Jd‘ならではの色を出すべく工夫を重ねてはいたのですが、東京ドームで行われた「憧夢超女大戦」をピークに、女子プロレス界を見舞っていた退潮傾向を覆すのは至難の業でした。「憧夢超女大戦」は、女子プロレスにとっての頂でもあり、かつ転落の始まりでもあったのです。地上波の撤退、対抗戦の乱発、新しいスターの不在、選手の弱体化など、問題は山積していたのです。

 思えば、なまじ団体対抗戦という禁断の果実を味わったがために、ファンによる普段の勝負への関心が薄れた上に、団体が細分化してベテランが各々の団体のトップに座り、彼女たちがその地位に固執するあまり、次代を担う若手を育てて来なかったのです。かつて全女が設けていた「25歳定年制」などは、とうに有名無実化し、まるで昔どこかの劇団で起こったのと同様に、大御所連中ばかりがふんぞり返っている状態に陥っていたのです。当然、夢を無くした若い人たちは去っていきます。Jd’でも、次期エースと目されていたバイソン木村に次いで、白鳥智香子や李由紀に留まらず、将来のエースと期待していた小杉夕子や曽我部美幸までが引退をしてしまいました。まさに、「観客は来ても競技人口が減ったスポーツは、必ず衰退する」という言葉通りの現象が起きていたのです。

 「さて困りました」、そこで、この困難な状況を打破するために卯木君が打った手が、「新世紀スター誕生 アクション・シンデレラ・オーディション」というものでした。合格した後の2年間は、まずプロレスに打ち込み、その後は、吉本が制作するテレビや舞台に出てアクション女優として活躍をしてもいいし、そのまま残ってプロレスを続けてもいいというものでした。アスリートとして体を鍛錬すると共に、アクトレスとしての感性も身に付けるという意味で、2つを合わせて、「アストレス」と名付けました。

 何としても、斜陽化する業界の概念自体を変えなくてはならないのです。苦しいレッスンに耐えられるのは、その先に希望があるからなのです。希望がないなら人は集まっては来ないのです。そのためにも、もう一度「女性にしかできない華麗な戦いをする」という原点に立ち返ろうという、業界全体への、ある種のアンチ・テーゼでもあったのです。

 

 

Cooga

 

 

高杉二郎さん

 

 

小杉夕子さん

 

 

曽我部美幸さん