木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 95年8月には概略も固まり、吉本興業、旭通信社、テレテックに加え、96年、社会現象と化した「たまごっち」をヒットさせたバンダイのゲームソフト子会社、バンプレストの他に、全日本女子プロレスからの出資も決まり、営業の主体を吉本が執ることになりました。会社名は「吉本女子プロレス」。代表は、4カ月ほど前に、10年ほどいたラジオ大阪からトラバーユして、当時タレントマネジメント部にいた、卯木基雄君に委ねました。彼が長年ラジオで培ったプロデュース力や演出力、コーディネート力を、ぜひとも、この新しい分野で活かして欲しいと思ったのです。

 肝心のコンテンツを担うレスラーを集める作業は、「他団体からの引き抜きをしない」という方針もあって、素人の我々だけでは出来ず、全女の松永会長の力を借りる他ありませんでした。まずは、団体としてスタートをして形を整え、その間に次の時代を背負って立つ、新しいスター候補生を育てなければなりません。もしこの時に、山田花子さんが90年、15歳時に、ダイナマイト関西がいたJWPに練習生として所属しながら、後ろ受け身が出来ず、4カ月で辞めた過去を知っていれば、きっと誘っていたとは思うのですが、当時は、残念ながら彼女にそんな過去があったことなど全く知りませんでした。

 選手の獲得の方は、松永会長の力添えもあって、ジャガー横田、バイソン木村、白鳥智香子、李由紀の4人に加え、メキシコ・レスラーのローラ・ゴンザレスなどを紹介していただくことが出来ました。気迫溢れるファイトで、「女子プロ界一のストロングスタイル」と言われたジャガー横田は、86年に怪我のためコーチに転向していました。そして、アジャコングと同期のバイソン木村は、ヒールとして活躍をしていたのですが、やはり彼女も92年に、負傷のため第一線から半ば身を引いていました。2人ともにブランクがあるとはいえ、やはりここは、看板になる2人の存在は欠かすことは出来なかったのです。

 そして我々が、Jd‘を体現する存在として最も期待したのが白鳥智香子でした。彼女も同じ全女にいて、「お嬢様スタイルのレスラー」として人気を集めつつはあったのですが、腰痛を抱えていたこともあって、壁にぶつかり、退団しようかと悩んでいる時期ではあったのですが、翻意して参加を決意してくれました。他に、李由紀や、TWF世界女子レスリング王者の、ローラ・ゴンザレスもメキシコから参加してくれることになり、一応の人材は揃うことになりました。

 こうした、選手の獲得の他に、8月下旬に記者発表をして、他団体への挨拶や選手交流交渉、道場や寮を確保してトレーニングを行うと共に、スカウト活動による選手集めを開始。10月~11月上旬にかけて、バイソンと白鳥をメキシコ修業に出し、凱旋帰国をさせると共に、前座のカード編成に必要なメキシコの若手レスラーの招致をした上で、12月24・25日に、ブル中野をゲストに迎えて、吉本が経営する天保山ハーバービレッジの「ベイサイドジェニー」で大阪での旗上戦を行い、スケジュールを縫って、西川きよしさんにもお越しいただきました。明けて95年4月24日には、折口雅博さんが、前年末に「ジュリアナ東京」に続いてプロデュースした、ヴェルサーチ・フェラーリ・アルマーニを足して名付けたという何ともバブリーな名前の、アジア最大のディスコ、「ヴェルファーレ」で東京の旗上戦を行いました。覆面コミッショナーとして桂三枝さんに参加をしていただき、メインイベントでは、「週刊プロレス」の提供試合として、バイソン木村 VS 豊田真奈美戦を行いました。

 その後、商社のトーメンさんにも第三者割当増資に応じていただき、トーメンさんが株を保持されている、BSジャパンで、「ジャンヌダルクへの道〜格闘美宣言〜」「Jd’神話」「格闘美伝説」などを放送し、CATV局へも吉本女子プロレスのコンテンツを供給することになりました。

 

 

吉本女子プロレスの代表を務めていただいた卯木基雄さん(写真左から3人目)

 

 

 

 

携帯ペット「たまごっち」

 

 

女子プロレスラーを目指していた頃の山田花子さん

 

 

ジャガー横田

 

 

バイソン木村

 

 

白鳥智香子

 

 

李由紀

 

 

ローラ・ゴンザレス

 

 

 

 

1500人収容のディスコ「六本木・ベルファーレ」