木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 話を戻します。私がプロレスに興味を持ったのは、15年間不敗を誇り「史上最強の柔道家」と呼ばれ、力道山と死闘を演じた木村政彦さんと名前が似ているからでも、鉄人ルー・テーズが「猪木・馬場より実力が上」と認めたラッシャー・木村さんと本名が同じだからでもありません。

 94年1月に、ソニーさんと共に上海を訪れた時のことでした。時間が空いて、天壇公園のそばにある「張一元天橋茶館」に入ったところ、中はテーブルに座って、お茶を飲みながら売店で買ってきたピーナッツやヒマワリの種をつまみながら、ステージで繰り広げられる芸を愉しむというスタイルになっていて、我々が入った時は「相声(シャンミョン)」という漫才が演じられていました。因みに「相声」には、一人で演じる「単口」、二人で演じる「対口」、三人以上で演じる「群口」とあるそうですが、同行したガイドによると、今は「対口」がポピュラーだという事でした。日本とは違い、立ち位置も向かって左がボケ、右がツッコミと決まっていて、20分ばかり、三河萬歳を思わせるのんびりしたテンポでネタを披露していました。言葉も解からず、ただボケーッと眺めていた我々をよそに、客席からは「好!(ハオ:いいぞ)」と声援が飛んでいて、我々がその空気を共有出来ず、疎外感を味わったことがありました。

 同様のことは、当時毎年のように行っていたニューヨークでもありました。ホテルでガイドブックを見ながら、その昔、まだ無名の頃のエディ・マーフィーが出演していたという「Gotham Comedy Club」を見つけ、妻と出かけたのはいいのですが、次々に登場するスタンダップ・コメディアンの、速射砲のような喋りが聞き取れず、2人して打ちひしがれながら帰った苦い記憶があります。多分、下ネタか、政治ネタか、人種差別ネタのいずれかだとは思いましたが、盛り上がっている客席をよそに、さっさと店を出てしまいました。アメリカには、こうした一人芸のスタンダップ・コメディアンばかりではなく、「アボット・コステロ」のような人気お笑いコンビや、ボードビルショーのコメディグループ、「The Three Stooges」(3バカ大将)などがいましたが、日本で放送された彼らの番組は、いずれも短期間で打ち切りになってしまったのを見ると、やはり言葉に根差した、「笑い」の国際間格差は大きいなと思わざるを得ませんでした。

 そんなこともあって、もし海外へ出ていくなら、言葉が解らなくても内容の解る、ノンバーバルなパフォーマンスが必要なのではないかと思ったのです。当時吉本には、一輪車に乗って口にフォークをくわえ、客席からリンゴを投げさせ、客がトチると一輪車ごとばったりコケて、「わしも、しまいには感情的になるで!」と毒づいたり、「今度は逆にフォークを投げて!」と迫ったりして爆笑を誘う、ミスター・ボールドという個人芸の達人がいて、この人なら多分海外でも通用はしたと思いますが、さて集団でとなると思いつきません。乏しい知識の中で思い浮かんだのは、91年にオフ・ブロードウェイの「アスタープレイス劇場」で始めて、以来人気を博していた「ブルーマン」や、同じオフ・ブロードウェイの「オーフィアム劇場」で94年から始め(後に、韓国が97年にこれをベンチマークして「NANTA」を創ったといわれる)STOMPというパフォーマンスでしたが、よく考えてみれば、とても一朝一夕にできるようなものではなく、「さて、どうしたものか?」と思案を巡らせている頃に、ふと思い出したのが、昔、誘われて見に行ったことのある女子プロレスだったのです。

柔道の鬼 木村政彦

 

鉄人ルー・テーズ

 

 

 

天壇(てんだん)公園

 

張一元天橋茶館

 

館内の様子

 

「相声」向かって左がボケ、右がツッコミ

 

三河萬歳

 

ゴッサム・コメディ・クラブ

 

アボット・コステロ

 

3バカ大将

 

エディ・マーフィーも出演していました

 

ミスター・ボールドさん

 

ブルーマンの看板がついているアスタープレイス劇(オフ・ブロードウェイ)

 

ブルーマンの3人

 

オーフィアム劇場

 

STOMPのステージ

 

NANTA