木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 送り出す側のフジテレビさんのご挨拶は、横澤さんたち制作マンが作ってこられたフジテレビの黄金期を編成面で支えてこられ、2001年に社長になられた村上光一さんがされました。たしか、当時は常務取締役編成局長だったと思います。とても洒脱で、人望の厚い方でした。とはいえ、「クリープを入れないコーヒーなんて・・・」という森永乳業のコマーシャルではありませんが、アクシデントのためとはいえ、主役不在となってしまったパーティは、今一つ盛り上がりに欠けるものになったことは否めませんでした。

 京王プラザを後にした私は、8時半に約束をしていた旭通の岡安さんや石井さんにお会いするため、銀座日航ホテルに向かいました。いくつかの案件を打ち合わせした後、岡安さん行きつけのクラブに立ち寄って帰ったのですが、まさかこの件が後に波紋を呼ぶなどとは夢にも思っていませんでした。18日朝、7時45分発のANA便で帰阪して、本社へ向かうタクシーから眺めた風景は、いつもとさして変わりなく、運転手さんに尋ねると、武庫川を越えると「景色が一変している」とのことでした。さすがにこの日は来客もなく、打ち合わせもすべてキャンセル。楠葉の実家に帰って母に聞くと「揺れはしたけど、被害はなかった、ただ庭の灯篭の上の部分が落ちただけ」と言ったので、見ると、なるほど灯篭の宝珠の部分が転げ落ちていました。「こんなもん、簡単や!」と言いつつ持ち上げようとしたのですが、いやその重いこと!結局、庭師さんに来ていただいて積んでもらったのですが、わが力のなさに唖然としましたね。

 それはともかく、19日には東京からのお客様もあって、北新地へ繰り出しました。店も何軒かは休んでいましたが、目に入る光景も、ほぼいつもと変わらず、食事の後、訪ねたクラブで、当時、兵庫県境に近い西淀川区に住んでいた、南原清隆さん(ナンチャン)に似た、「お笑い系ホステスさん」の、「結構家が揺れて、ヤバイなと思ってたら、なんと寝たきりのお父ちゃんが、突然、普段看病をしてもらっている母親と、私を踏みつけて、真っ先に外へ逃げたんよ!これってどう思う?」なんて話に耳を傾けて笑っていました。このお父さん、これ以降、とても肩身の狭い人生を送られたことだと思います。

 ところが、それから2,3日程して、大阪スポーツに「タレントの被害をよそに、吉本興業の役員が銀座で豪遊」という記事が出てしまったのです。誰のことかと思い、読み進むと、なんと自分のことだったのです。「えっ?いつ、銀座で、豪遊、したっけ?」と振り返ると、旭通さんと行った時しかありません。第一、自分は酒も飲めないし、おまけに初めて連れていかれた店に、ただ居ただけなのに・・・」という思いはありましたが、翌日、中邨社長からは「時期が時期だけに自粛するように」というお小言を頂戴しましたね。寛平さんや文珍さんの家が被災されたことを思うと、自分が身をもって体験していないだけに、どこか、よそ事のように感じていたのかもしれないと、大いに反省させられた出来事でした。

村上光一さん

 

 

森永乳業のコマーシャル

 

 

灯篭の部位

 

 

倒壊した生田神社

 

 

倒壊した阪神高速道路の橋脚

 

 

かろうじて落下を免れたバス

 

 

完全に倒れてフラワーロードをふさいだ柏井ビル

 

 

こんな顔のホステスさん