3月に銀座7丁目劇場を立ち上げた後、更に東京への深耕化を図るため、渋谷でキャンペーンを行うことになりました。場所はかねてより目をつけていた「公園通り」です。この地は、渋谷区役所や渋谷公会堂が出来た70年に「区役所通り」と名付けられていましたが、73年に「公園」を意味するイタリア語からとった「渋谷パルコ」が出来たのを機に、代々木公園に通じる道ということもあって、地元商店街の要望を取り入れ、「公園通り」と改められていました。
若者に人気のショップもあったのですが、何と言っても、山手教会の地下で、中村伸郎の一人芝居や、淡谷のり子、美輪明宏、高橋竹山のライブ、永六輔のトークイベント、イッセー尾形の一人芝居などを公演していた、ライブハウスの「ジァン・ジァン」や、ユーミン、中島みゆき、吉田拓郎、井上陽水、忌野清志郎のライブや、細川俊之・木の実ナナの「ショーガール」、自主プロデュース公演の先駆となった「ラヴ・レターズ」を行っているパルコ劇場があるのが魅力でした。
68年西武百貨店渋谷店、73年西武劇場(パルコ劇場)、パルコ、75年パルコ パートⅡ、87年ロフト館をオープンして、それまで渋谷の繁華街の中心であった駅前と道玄坂からその地位を奪った公園通りは、作家でもあったカリスマ経営者 堤清二さんの「店を造るのではなく、街を創るのだ」「文化を消費に取り入れる」というイズムが横溢した街でもあったからです。73年パルコのオープン時のキャッチ・コピーは、GAROの「公演通り」という曲にも反映された、「すれちがう人が美しい 公園通り」でした。百貨店のコピーも糸井重里さんを起用し、「不思議、大好き」、「おいしい生活」というのですから並の感性の人ではありません。85年にはスーツ姿の内田裕也さんが、ニューヨークのハドソン川を泳ぐというインパクトのあるコマーシャルを流して、世間を驚かせていました。
既にこの頃にはセゾングループの総帥として経営に辣腕をふるってこられた堤清二さんも、パルコの経営を担ってこられた増田通二さんも退かれてはいましたが、お二人の残されたDNAがまだ受け継がれていたとしたら、「果たして吉本のテイストを受け入れてもらえるかな?」という懸念はありました。おまけに、パルコにも、商店街にも全くコネはありません。「さて、どこからアプローチしようか?」と思案を巡らせていたところ、ある人の顔が浮かびました。「そうだ。あの人に相談してみよう。もしかしたら、攻略の糸口が見つかるかも知れない」と藁にも縋る思いで連絡を取ったのが境和夫さんでした。と言っても、決してこの方が藁のような人というわけではありませんよ、念のため!
パルコ
ジァン・ジァンのプログラム①
ジァン・ジァンのプログラム②
ショーガール
ラヴ・レターズ
堤清二さん
ガロ 公園通りの歌詞
すれ違う人は美しい
糸井重里さんの考えたコピー「おいしい生活」
ニューヨークのハドソン川を泳ぐ内田裕也さん
増田通二さんの著書