木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 大阪本社に滞在するようになって気が付いたのは、嘗てあれほど「やたけた精神」にあふれ、ヒット番組を生みだしていたOBCが、いまいち精彩を欠いているように見えたことです。もちろん、背景には89年6月に大阪で2番目のFM局「FM802」が開局し、ファンキーな選曲やDJを結集して若者の心を捉えて、AM局を低迷に追いやったという背景がありました。皮肉なことに「FM802」の元ニッポン放送 編成部長・石原捷彦社長の下で、制作の中心を担っていたのが元OBC社員の栗花落(つゆり)光さんだったのです。報道局から制作局へ異動、芸能がメインの局の中にあって、その体質に馴染めず、「ジャムジャム・イレブン」など音楽番組を担当していたのですが、横浜に次いで大阪にも音楽専門局ができることを知り、誘いを受けていた「FM802」へ転社していたのです。

 「演歌やアイドルの曲をかけない」、「オリコンのヒットチャートに左右されない」、「18歳の感性を大切にする」などの制作方針を掲げ、大阪出身の黒田清太郎さんと長友啓典さんの描くビジュアルも好評だったこともあって、あっという間に若い人たちの心を捉えました。「ヘヴィ・ローテーション」を始めたのもこの局が最初で、92年にはMr.Childrenのデビュー曲「君がいた夏」や、THE JAYWALKの「何も言えなくて…夏」などをヒットに導きました。

 とはいえ、そんな事情は、他のABCやMBSとて同じこと。苦境の中でも2局は善戦をしているのに、OBCは、「一体何をやっているんだろう」という、はがゆい思いが募って、当時の制作幹部の方にも幾度か申し上げたことがあったように思います。果たして、制作幹部への提言が効いたのか、それとも前田社長への直訴が効いたのかは分かりませんが、ともかく事態は動き始めました。

 2月の初めには、「4月改編期には間に合わなかったけれど、10月までは待てないので、7月4日から月~金の4時間を共同で制作したい」という申し入れがあったのです。それを受けて両社のスタッフによるプロジェクトチームが決めたのが、ラジオよしもと「サブロー・リンゴのむっちゃ元気!」というタイトルの、朝9時~午後1時までの4時間にわたる生放送だったというわけです。メインパーソナリティを務める太平サブローさんは、88年に吉本を離れたものの、92年に相棒のシローさんと別れ、93年にさんまさんや紳助さん、巨人さんらの口添えで吉本に復帰したばかり、もう一人のハイヒール・リンゴさんは、相棒のモモコさんが産休中というタイミングもあって、単独での出演となりました。

 5月26日、堂島の「クラブ関西」で開かれた記者発表には、パーソナリティの2人に加えて、OBCの小林取締役編成局長と共に、私も出席させていただき「まずは4時間、ゆくゆくは24時間、そのうち社名も変更していただけたら?」と冗談っぽく話をさせていただきました。OBCさんにとっては吉本ファンを取り込め、吉本にとってはタレントさんの活動の場を増やせる、双方にとっていい取り組みだった気がしています。僭越ながらOBCさんにも、嘗ての様な「ファンキー」(独創的・型破り・イカす・セクシー・泥臭い)とよく似たニュアンスの、「やたけたさ」を取り戻して欲しかったのです。番組は、以降、パーソナリティを曜日別に変えて08年6月30日まで続き、OBCの開局50周年を機に7月1日から「ラジオよしもと むっちゃ元気スーパー!」とリニューアル、13年3月25日まで放送されました。

FM802 現・代表取締役社長の栗花落(つゆり)光さん

 

 

長友啓典さん(左)と黒田清太郎さん(右)

 

 

ステッカー

 

 

「むっちゃ元気!」の企画書

 

 

多くのメディアに取り上げていただきました