木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 とは言っても、札幌に事務所を開設しようと思ったのはラーメンや、バーのせいではありません。きっかけになったのは、桂文枝さんの11番目の弟子・桂小つぶさんの存在があったからでした。80年にMBSラジオの「ヤングタウン」、81年からABCTVの「プロポーズ大作戦」、MBSTVの「ヤングOH!OH!」、そして87年からはKTVの「ノンストップゲーム」などの人気番組に出演するようになった小つぶさんは、愛嬌のあるルックスもあって、次第に関西ではアイドル的な人気を博するようになっていたのですが、91年、喘息の子供さんの転地療養のために、北海道へ移住することになったのです。場所は、苫小牧市が区画整理をした樽前山の分譲地。

 事情が事情だけに、打ち明けられた私も了解せざるを得なかったのですが、文枝師匠からは、「新天地で落語をしたい」という彼の言葉に、もしも嘘があったら「名前を返してもらう!」とプレッシャーをかけられたといいます。「向こうへ行っても初心を忘れず頑張れよ」という励ましの意味でおっしゃったのだと思います。

 不安を抱えたまま移住した小つぶさんでしたが、幸いにもテレビ東京系のテレビ北海道(TVh)で「桂小つぶの つぶよりモーニング」というレギュラー番組を持たせていただきました。落語の方も札幌を拠点に道内外で高座に上がり続け、96年に2代目桂枝光を襲名、05年には寄席ブームを再現させるべく「平成開進亭」を立ち上げました。06年に北海道新聞社から刊行された本のタイトル通り、お笑いの屯田兵として未開の地を切り拓いたのです。

 彼の移住以後も、札幌を訪れるたびに小つぶさんとは会っていたのですが、孤軍奮闘している彼の姿を見るにつけ、何とかフォローする体制が取れないものかとは思っていたのです。その上、次代タレントの発掘・育成までできれば尚のこと、という思いもあって、林専務に事務所の開設を提案したのです。専務がおっしゃるような、旨いものを食べるためでも、彼女を連れていくためでもなかったのです。

 札幌事務所は初代所長・木山君の頑張りもあって、この年に実施したオーディションで、「タカアンドトシ」や「モリマン」など、後に活躍するタレントを生み出すようになったのです。2月、下打ち合わせに札幌へ行った際、真っ先に小つぶさんがお世話になっているTVhさんへお邪魔して、田窪・編成制作担当常務はじめ幹部の方々のところにご挨拶に伺い、その後、北海道新聞社の坂野上社長や作田専務、STVでは野本昌夫専務や、宗本さんと親しい小松部長にお目にかかりました。野本さんは「ローカル・プライオリティの時代」を標榜して、夕方ベルト番組の先駆として、全国各局からの見学者が絶え間なく押し寄せるという人気番組「どさんこワイド」などで、STVを視聴率3冠王に導いた方で、後日東京で開かれたシンポジウムで、ゆっくりとその戦略などをお聞きすることができました。STVが16年まで、25年間もの永きにわたって全日視聴率トップを走る因をつくった功労者ですが、副社長を最後に退職され、08年に亡くなられましたね。

 そうそう、札幌と言えば、94年の6月に、お世話になっているテレビ局の方々を大阪へご招待したことがありました。NGKをご覧いただいた後、食事を済ませ、林専務が肝入りでオープンしたライブハウス・アンコールへと、ここまでは良かったのですが、次の店を予約しようとしている私を制して、皆さんがホテルへ帰るとおっしゃるのです。ご遠慮なさっていると思ったのですが、どうもそうではないようなのです。理由は「流れ弾に当たるのが怖いから」とか。まさかという思いと同時に、「大阪がそんな町だと思われている」ことにショックを受けましたね。もっとも、かくいう私も、広島へ行ったとき、皆が「じゃけん・じゃけん」と叫びながら仁義なき戦いをしていると思っていましたから偉そうなことは言えませんが。

桂小つぶ 改め、2代目 桂枝光さん

 

 

KTV「ノンストップゲーム」

左は共にMCを務めた上沼恵美子さん

 

苫小牧〜札幌は特急で45分、車なら高速で50〜60分

 

 

初めて小つぶさんをレギュラーで使っていただいたテレビ北海道(TVh)

 

 

2006年刊行です

 

 

独演会のポスター

 

 

タカ アンド トシ

 

 

モリマン