木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 銀座7丁目劇場の次は、4月8日、80年の東京、88年の名古屋、89年の福岡に次いで4番目の拠点となった札幌事務所の開設パーティーが札幌プリンスホテルで催されました。2月に北海道新聞社や、各テレビ局にご挨拶を済ませていたこともあって、多くのお客様にお越しいただくことができました。

 私が札幌事務所の開設を最初に提案したのは林専務にだったと思います。「札幌に事務所を開設しようと思うのですが?」と切り出した私に、「女が出来たんか?」という言葉が返ってきたのです。心の中で、「専務と一緒にしないでください」と叫んではみたものの口には出せず、縷々事情を説明すると、「ま、ええんちゃうか」と返事が返ってきました。こんなやり取りで決まってしまうのですから恐ろしい会社です。

 さっそく責任者を決めなくてはなりません。さて、誰がいいかな?と思案をしていると、ちょうど目の前を一人の社員が通りがかりました。木山幹雄君、私より10歳ほど年下で同志社大学の後輩でもありました。さっそく呼び止めて、優しく「木山君、寒い所好きか?」と声を掛けると、「嫌いですよ!でも何でですか?」と聞いてきたので、事情を説明してしぶしぶ納得させました。赴任するときはそれほど嫌がっていたのに、札幌が気に入ったらしく、マンションまで購入し、次に東京へ異動の内示を受けた時には「札幌に残りたい!」と駄々をこねたといいますから、よほど彼の地が水に合っていたということなのでしょうか。「札幌・福岡へ転勤するサラリーマンは、行く時と帰る時の2度泣く」と言われます。「行きは家族との別れ、帰りは彼女との別れ」だそうですが、やはり彼もその口だったのでしょうか。いけません、そんなことを言ったら林専務と同じことになってしまいます。

 たしかに札幌はいいところです。千歳空港を出て札幌へ向かう道中に広がる壮大な景色を見るだけで、まるで北欧へ来たような感覚にとらわれます。親しくさせていただいていた札幌中央企画の宗本社長や、時計台ラーメンの志釜社長に紹介していただいた、葛和満博さんの造られた、温泉「湯香郷」や、地下に大きな水槽のある料亭「花遊膳」がある、すすき野の「ジャスマックプラザホテル」、藻岩山の北斜面にあるバー「N43」、そして同じ松井守さんが始められた、銭函の崖の上にあるバー「ユーラシア404」など魅力のあるポイントに溢れています。中でも、夜のとばりが下りた中を、蝋燭の光の中、石狩湾沿いのレールを淋し気にカタコト走る列車を見下ろしつつ、静寂の中、BGMの聖歌「グレゴリアン・チャント」を聴きながら、グラス(と言っても私の場合はジンジャーエールですが)を傾けるムーディな「ユーラシア404」は、殊の外お気に入りでした。残念なことに、93年のオープン時に、松井オーナーが10年間の期限付きで始められたということで、現在はもうありません。私もよく女性を連れて行きました。「えっ、女房と?」も、もちろんです。でないと、それこそ林専務と一緒になってしまうではありませんか。因みに、「N43」は北緯43度から、「ユーラシア404」はユーラシア大陸から404kmの地ということに因んで名付けたと言われています。

2度泣いた木山幹雄君

 

 

時計台ラーメンの志釜社長

 

 

株式会社ジャスマック(現会長)葛和満博さん

 

 

ジャスマックプラザホテル

 

 

湯香郷

 

 

惜しくも現在は閉店しています

 

 

「ユーラシア404」から見下ろす石狩湾の夜景と、絨毯の敷かれたバー

 

 

「N43」から見る札幌の夜景

 

 

「N43」の看板