木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 明けて94年は慌ただしい年になりました。正月の挨拶もそこそこに、7日には銀座7丁目劇場のミーティング、8・9日は香港へ、12日にはフジテレビの横澤さんと会い、19日から23日まで上海・北京、25日は中邨社長と共にラジオ大阪の前田社長と会食、27日は代理店旭通の岡安氏と打ち合わせ、28・29日再び香港、2月6~8日札幌と目まぐるしく動いています。実は、これが皆、この年に起こしたプロジェクトに関係した動きだったのです。それは後述するとして、まずは銀座7丁目劇場のことからです。

 1月10日には運営事務局を発足、13日には「Being」で告知、2月1日にキャラクター・デザインを赤塚不二夫さん、メイン・キャラクターをナインティナインと発表、同時に大成建設との賃貸契約を締結。20日、銀座7丁目劇場TOKYOオーディションをラフォーレ原宿で行いニッポン放送で中継、3月25日、クライアント及びメディア向けの劇場発表パーティを東京プリンスホテルで行い、27日の劇場オープンでは、杮落し公演として「天然素材ぶっちぎりライブ」を行うことなど、次第に概略が固まっていきました。

 併せて、事前告知として、NHKのドキュメンタリー番組や、NTVの「スーパータイム」・TBSの「迫ってBABURI」。レギュラーとして平日17時~17時30分の生放送、テレビ東京の「銀BURA天国」、それに加えてニッポン放送の宮本幸一編成局長からは、「一緒にムーブメントを作りたい」として、「オールナイトニッポン」のコーナーで「ラジオ7丁目劇場」をやっていただけることが決まりました。もちろん、電通さんのご協力もあってのことですが、着々とことは運びました。そうそう、日刊アスカでも、しっかりと告知させていただいたことは言うまでもありません。1月4日の年頭記者会見で、正式に「東京進出」を発表された中邨社長の顔からは、自信ではなく確信に満ちた表情が溢れていたように思えました。

 開館当初こそ、爆発的人気を誇っていた「吉本印天然素材」のメンバーや、その弟分のグループ「フルーツ大統領」、心斎橋筋2丁目劇場のメンバーが出演をしていましたが、次第に極楽とんぼ、ココリコ、ロンドンブーツ、品川庄司、DonDokoDonなどの東京で育ったメンバーが中心を占めるようになっていきました。また、同年にテレビ静岡がオープンした、メディアシティ静岡内の「百人劇場」に「吉本・伝馬町劇場」としてチュパチャップス、ココリコ、DonDokoDonなどが出演し、生放送「吉本・伝馬町劇場生だ!SHIZUOKA金ゴロー」が放送されていました。ライブでタレントを鍛え、テレビで人気者にしていく吉本の手法がここでも生かされていたのです。

 

 

 

 

当時 ニッポン放送の編成局長だった宮本幸一さん