木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 1988年、吉本は名古屋に事務所を構えることになりました。名古屋局が大阪よりも距離の遠い東京からタレントをブッキングしているのを、何とか大阪寄りに代えてみたかったのです。そのためには大阪からダイレクトに名古屋へ攻めていくのではなく、まず東京で成功を収めてから出て行った方が、受け入れてもらい易いのではないかという読みもありました。名古屋を中心とする東海地方は三大都市圏の一つ、ここを抑えることによって吉本の商圏も広がっていくと思い、提案をしてみたのです。

 幸い名古屋では、「ラブラブダッシュ」で横山やすしさんが水谷ミミさんと司会をしていたCBCの佐野さんや、特番でお世話になっていた名古屋テレビの小塚さん等、なじみの方もいらっしゃったのですが、最も頼もしかったのがヨコネエこと、横田佳代子さんでした。東映中部支社で宣伝プロデューサーを務めた後、独立をして「ペアレンツ」を設立、映画・音楽・書籍のプロモーターとして活躍をされている人です。商売柄かどこにでも顔が利き、野沢直子さんがお世話になっていた、若者向け人気番組「5時サタマガジン」のトップ・澤田健邦さんはともかく、若手プロデューサーの柴垣邦夫さんや、刈谷隆司さんなどはまるでタメ扱いで紹介をしていただきました。ちょうどお昼時になったこともあって、名古屋名物の「ひつまぶし」を食べようということになって、熱田神宮脇にある、ひつまぶし発祥の店「蓬莱軒」へ行こうということになりました。道すがら、ウーパールーパーみたいな顔をした横田さんが、「内緒だけど、蓬莱軒のおかみさんって、ウナギみたいな顔をしてるんですよ」と解説され、「いくら創業来140年タレを受け継いでるとはいえ、顔がウナギに似るわけないだろ」と思いつつ行ったら、ほんとに似ていて笑ってしまったこともありましたね。

 下見の結果、事務所を東海テレビ近くの東桜に決めたのはいいのですが、問題は誰を責任者にするか?ということです。そこで選ばれたのが、かの泉君だったのです。マネージャー時代にダブルブッキングをしてタレントがレギュラー番組を失ってしまい、家の前で一晩中土下座をしたり、通りがかった会議室から聞こえてきた人事の機密情報を社員のボウリング大会の席で漏らして、上層部の怒りを買い、多少「所払い」的な意味もあったかもしれません。まあ、それは冗談にしても、86年に名古屋出身のポピンズを担当して、幾分土地勘があったことを買われての起用であったことは確かです。東京事務所へ移るまで泉君はこのコンサバティブな地で雌伏の時を過ごし、来るべき時に備えて、仕事を憶えていったのだと思います。

 何年かのちに、東京で角川春樹さんを交えて食事をさせていただいて以来、横田さんにはお目にかかっていませんが、お元気にされているのでしょうか?それとも、蓬莱軒の女将の恨みを買って、「いなわしろ淡水魚館」か「箱根園水族館」あたりで、ウーパールーパーとして飼育されておられるのでしょうか?

「ラブラブダッシュ」

 

「5時サタマガジン」

 

「ヨコネエ」こと横田佳代子さん

 

パーソナリティ「つボイノリオ」さんと「ヨコネエ」

 

ウーパールーパーに似てませんか?

 

蓬莱軒の女将さん

 

ちなみにウナギを持っている方が女将さんです

 

あつた蓬莱軒のひつまぶし