木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 次に彼が取り掛かったのは、電通さんと組んでの番組開発でした。ちょうど、企画推進部に井口高志さんという関西学院大の同級生の方がおられたということもあって、まずはテレビ朝日で15分の「東京なにわ倶楽部」という深夜番組を始めました。「吉本新喜劇ギャグ100連発ビデオ」を企画された、イラストレーターのみうらじゅんさんと、チャーリー浜さんの番組でしたが、あまりにマニアックな内容だったこともあって、残念ながらあっという間に終わってしまいました。すぐに、別企画をプレゼンしたものの、テレビ朝日では実現せず、時を置いて新企画を別の局にプレゼンしようということになったのですが、プランニングと演出を誰にお願いするかという所で、頭に浮かんだのが伊藤輝夫さん、今のテリー伊藤さんだったのです。

 伊藤さんは、元読売テレビの斎藤寿孝さんが設立されたIVSという制作会社で、NTVの「天才・たけしの元気が出るテレビ」や、KTVの「上海紅鯨団が行く」・「ねるとん紅鯨団」という人気番組の総合演出をされていて、私も伊藤さんの顔と名前だけは知っていたものの、まだキャスティング担当のプロデューサー・牛丸謙壱さんほどに親しいという間柄ではありませんでした。

 その牛丸さんから、「伊藤がIVSを辞めて、独立をすることになった」と聞き、「どうされるんだろう?」と思っていた矢先、行きつけの食事処「かわにし」でばったりと伊藤さんに出会ったのです。「肉じゃが」が旨くて、いつものように赤坂の店を訪ねると、カウンターの端っこに、伊藤さんがどこぞのオネエチャンと座っておられて、私に向かってペコッと会釈をされたように思います。ただそれだけのことだったのですが、私には何やら運命的な出会いのように思われ、新企画を実現するため、「誰にプランニングと演出をお願いしようか?」という話になった時、ふと彼のことが頭に浮かんだのです。伊藤さんには、後日改めて電話を差し上げ、東京事務所まで出向いてもらい、趣旨の説明をさせていただいて快諾していただきました。

 こうして、伊藤さんを交え、出来上がった新企画が、92年4月からテレビ東京で始まった「浅草橋ヤング洋品店」だったわけです。MCが小林幸子さん、サブMCがルー大柴さん、清水ミチコさん、近田春夫さん、レギュラーが浅草キッド、江頭2:50、清水圭さん、ナインティナインという人たちで、当初若者向けファッション・サブカルチャー番組として火曜21時でスタートをしたのですが、半年後に日曜21時へ移行してからは次第にバラエティ色を強め、ファッション界の「ヒロミチナカノ」の中野裕通さん、パフォーマンスをする中華料理人の周富徳さん・周富輝さん兄弟や、金萬福さん、城南電機の宮地社長など異色のキャラクターを発掘した名物番組となり、95年後継番組の「ASAYAN」へと引き継がれて行きました。

みうらじゅんさん

 

伊藤輝夫さん

 

「浅草橋ヤング洋品店」の企画書

 

 

ファッション界の「ヒロミチナカノ」の中野裕通さん

 

城南電機の宮地社長

 

異色のキャラクターを発掘した名物番組になりました