木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 東京から帰って驚いたのは、新喜劇の衰退の他に、放送ギャラの決め方がありました。東京では各テレビ局ごとにプロデューサーと交渉をして出演料を決めていたのですが、大阪では在版民放局が統一ランクを決めていて、年に1回、局側から送られてくる前年のランク表に、こちら側が希望額を書いて提出することになっていたのです。その後、各局が話し合い査定額を決めた後、プロダクションごとに呼び出されて、回答額を通告されるというシステムでした。私も一度だけ上司のお供をして隣席したことがあったのですが、テレビ局5人(ABC・MBS・KTV・YTV・TVO)、ラジオ局3人(ABC・MBS・OBC)の制作管理部門の担当者が居並ぶ席に、プロダクションの責任者が、1人ずつ呼び込まれて、回答額の記された書類を受け取る風景に違和感を覚えました。その姿が、まるで奉行の前にお白洲へ引き出される姿であるかのように思えたからです。しかも上げ幅はこちらの要求した額のたった2~3割くらいでした。

 なんだかそのセレモニーに付き合うのが馬鹿馬鹿しくなり、自分が制作部長になった時、「今年からわが社は出席しませんので」と通告をすると、局の側から「いや、最大手の吉本さんが来てくれないと困る」とのこと。こちらは、そんなことは知ったことではありません。「これって、談合行為やカルテルを禁じた、不正競争防止法に引っかかりませんか?」と、乏しい法律用語を駆使して応じると、それ以来何も言ってこなくなりました。民放といえど、私企業に変わりはありません。お互いが切磋琢磨をせず、仕入れ金額を協定するのは、違うと思ったのです。思い上がっていると取られたかもしれませんが、放送局とプロダクションの関係を、嘗ての「使ってやる」と「使っていただく」ではなく、「出ていただく」と「出していただく」という関係に変えるためにも、ここは何としても譲れない一線だと思ったからなのです。

 もう一つには、マネージャーたちの意識改革という狙いもありました。定価表みたいなものがあると、その都度ギャラの交渉をしなくていいのですから、こんな楽なことはありません。勢い原価意識も希薄になって、この仕事でいくら儲かったのかを、余り考えなくなるのです。他方、局の懐事情はそれぞれに違うわけですから、ギャラを吊り上げるばかりではなく、「この局の、この仕事は、ギャラは安いけれど、タレントにとってメリットがあるからどうしても出演させたいと思えば、自分の裁量で引き受けることもできるようにもなるわけです。唯々諾々と「昔からこうしているから」とか、「こう決まっているから」と引き受けるなんてことは、たとえその当時合理性があることであったにしても、時代が変われば、やはり変えていかなければならないのです。

 

 

 

各局が横並びで

 

 

と、話し合って

 

 

「みんなで決めたことだから」と通告