木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 こうして新しくスタートを切った新喜劇ですが、ONを欠いたV9後の巨人のようなもので、当初こそ2丁目で台頭した今田耕司、東野幸治、130Rといったメンバーの加勢を得てはいたのですが、彼らがダウンタウンに次いで東上した後、90年8月15日には高槻市の摂津峡にある山水館で作家とスタッフで合宿をするなど、試行錯誤は続きました。95年ニューリーダーとして、内場勝則、辻本茂雄、石田靖の3人が自立するまで新喜劇を支えてくれたのは桑原和夫、チャーリー浜、池乃めだか、島木譲二、井上竜夫、中山美保、末成由美といった中堅・ベテランの人たちでした。この人たちが君臨するのではなく、若い人たちの支えとなってくれたからこそ、のちに藤井隆、島田珠代、山田花子といった有望株が現れた時に花が咲いたのです。

 91年には初の東京公演を成功させ、9月にNHKで朝10時から夜10時まで、NGKから新喜劇のメイキング版、12時間衛星生中継もやりました。アリナミンVドリンクのCMで、当時ハリウッドの中で一番高いと言われていたアーノルド・シュワルツェネッガーと、新喜劇のメンバーが共演したのもこの年でした。噂ではCM製作費の半分を彼が持っていったといいますから、新喜劇全員のギャラを足しても、とうてい彼の足元にも及ばなかったと思います。中でも、浜裕二から名前を変えたチャーリー浜さんは、90年、91年と紅白歌合戦に応援団として連続出場、91年は第8回流行語大賞(自由国民社)に輝きました。たしか、当時ブレイク中のアメリカのダンスミュージシャン、MCハマーの東京ドーム公演に、ただ「ハマつながり」というだけで花束を持っていったこともありました。相手はきっと「WHO?」といったと思いますが、話題作りのための努力は怠りませんでした。

 もう一つ、気になっていたことがありました。例の「ホンワカパッパ」で始まる定番のテーマソングです。もとはと言えば、ABCがなんば花月から新喜劇の中継を始めるときに、ディレクターだった石田健一郎さんが選曲したのが、1918年アメリカのレオ・ウッドが作曲し、1954年にトロンボーン奏者のピー・ウィー・ハントがアレンジして発表していた「Somebody Stole My Gal」いう曲で、いつしかこれが新喜劇の定番になっていったということなのですが、せっかく新しいスタートを切ったのだから、これも新しい曲に変えられないかと思ったのです。そんな時、漠然とテレビを見ていると曲名こそわからないものの、「タッタタラリラ、ピーヒャラピーヒャラ」というフレーズが耳に入ってきて、調べると90年にオリコン・シングルチャート1位に輝いた、ちびまる子ちゃんのエンディングテーマ曲でもある、B.B.クイーンズの「踊るポンポコリン」だということが分かりました。プロデュースしたのは?と聞くと長戸大幸さん、なんでも当時音楽業界では、曲をヒットさせるにはK・D・D」という言葉があって、「カラオケで歌われる、ドラマの主題歌になる、長戸大幸が作る」と言われていたほどの人らしいのです。そんな人に頼みたいのはやまやまだったのですが、全くツテがありません。知り合いに聞いても入ってくるのは「なかなか人に合わないらしい」という情報ばかり。さて、どうしたものか?と悩んでいると・・・

アリナミンVドリンク CMのワンシーン

 

 

M.C.ハマー

 

 

ピー・ウィー・ハント

 

 

B.B.クイーンズの「踊るポンポコリン」

 

 

若かりし頃の長戸大幸さん