木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 歴史を振り返ると、この1989年という年は天皇のご崩御によって年号が平成に改まったばかりではなく、6月には中国で天安門事件、11月にはベルリンの壁崩壊と歴史的な事件が相次いで起こった、歴史的な転換期でもありました。日本でも、6月には国民的歌手と言われた美空ひばりさんが亡くなりましたし、86年から起こったバブル景気もこの年の10月には、38,915円と最高値を記録して、91年2月の崩壊に向かう兆しを見せ始めた年でもありました。

 「もし、来年の3月までに新喜劇をやっている梅田花月に、180,000人の客さんに来ていただけなかったら、新喜劇を辞めます」、そう宣言した「やめよッカナ⁉キャンペーン」を始めたのは10月のことでした。6カ月で180,000人と言えば1日に1,000人、結構ハードルの高い数字ではあったのですが、容易に達成可能な数字ではなく、「大丈夫かな?」と思われるくらいに高めの数字でなくては、関わっている者たちの覚悟が伝わらないと思ったのです。

 政治ネタの少ない大阪にとって、数少ないキラーコンテンツの阪神タイガースが、7月末の時点で首位の巨人に22ゲームもの大差をつけられ5位に低迷していたこともあってネタ枯れ気味、おかげで、マスコミは盛んにこのニュースを取り上げてくれました。もとはと言えば、吉本の私的な理由でしかないこの、「自分たちが子供のころから観ていた新喜劇がなくなるかも?」というキャンペーンに対して、「なくさないで!」という声が聞こえてくるようになりました。

 もちろん、賛同する声ばかりではなく、KTVの「ノックは無用」という生放送の番組では、上岡龍太郎さんから「小さな権力を振り回して!」と批判されたこともあります。上岡さんは、演者の立場からそう思われたのでしょうが、当事者でもないこの人に「生放送で一方的に批判されるのは心外!」と、多少大人げないとは思ったのですが、後日KTVを通じて、彼の事務所から詫び状を取ったこともありましたが、今思えば、こうした批判もまたキャンペーンの効果を後押ししてくれたのかもしれませんね。

 おかげで、梅田花月の入場者も徐々に増え、テレビの視聴率も回復の兆しを見せるようになった年の瀬の12月27日、MBSから「4月以降も新喜劇中継を継続する」との報をいただくことができ、目標数字の180,000人も翌90年2月に達成され、新喜劇は無事継続することになりました。目標でもあり、ライバルでもあった松竹新喜劇の藤山寛美さんは、87年に244カ月連続公演を達成された後、体調を崩され、90年の3月、肝硬変で入院、5月に亡くなりました。まだ、60歳、何とも早すぎる死でしたね。

ダメ虎

 

 

なくさないで という声も

 

 

批判もありました

 

 

やめよっかな ①

 

 

やめよっかな ②

 

 

やめよっかな ③

 

 

やめよっかな ④

 

 

+ と − はあるけれど

 

 

上って良かった