木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 岡八郎さんは、酒を飲まないと舞台に上がれないほどの、あがり症だったこともあって、アルコール依存症に陥り、その後胃がん、膵炎に陥り、あげく自宅で転倒したことによる脳挫傷に見舞われました。03年長女でゴスペル歌手の市岡裕子さんと共に、もう吉本を退社していた私の事務所までお越しになり、心機一転、「岡八郎」から「岡八朗」に改名されたのを機に2人でお書きになった、「アルコール依存症から脱出した八っちゃんの奮闘記」(マガジンハウス)をいただきました。05年肺炎による呼吸器不全のため亡くなりましたが、まだ67歳と早すぎる死でした。思えば昔、仕事の依頼をにべもなく断られたのは、そんな不器用な性格の故だったのかもしれませんね。

 花紀京さんとお目にかかったのも同じ03年のことでした。確か、北新地の「づぼら」という天ぷら屋さんだったと思います。私が知人と訪ねると、奥のカウンターに奥様と2人でお座りになっていて、私の顔を見るなり、笑顔で「よっ!」と会釈していただきました。確か前の年に脳腫瘍の摘出手術を受けてリハビリ中だったと思うのですが、お元気そうな様子を拝見して安心したのを憶えています。ところが、この年の5月、ご自宅で入浴中に低酸素脳症で意識不明になられて活動を休止されたまま、15年8月にお亡くなりになられました。

 そして、原哲男さん。83年、天王寺動物園でカバの赤ちゃんが誕生して、名前を一般公募したところ、「テツオ」という名前が選ばれたというエピソードがあるほど、「誰がカバやねん!」というギャグで名前を知られた人で、KTVはそのギャグにちなんで「誰がカバやねん、ロックンロールショー」という番組を始めたこともあったほどです。退団後も吉本のテレビ中継番組にも出演されたり、地方公演にも出ていただいたり、一方で藤田まことさんの「剣客商売」や「はぐれ刑事」などにも出演されていたのです、13年肺がんで亡くなりました。

 ご存命なのは船場太郎さんと山田スミ子さん。マヒナ・スターズの付き人から喜劇役者に転じた船場さんは、キャンペーンの後も残ったのですが、次第に脇にまわることが増えたため、91年に退団して、大阪市会議員に立候補して当選を果たし、6期24年間大阪市会議員を務め、03年には第99代の大阪市会議長を務めました。ABC「あっちこっち丁稚」でヒステリックなセリフを吐いて、前田五郎さんにビンタをかましていた山田スミ子さんは、以降もNHKの朝ドラや、10年間レギュラーを務めた「家政婦は見た」など各局のドラマに出演する一方で、2011年に氷川きよしさんの銭形平次で明治座に出られたように、舞台への出演もされていると聞いています。彼女は酒が強くて、飲めない私も何度かつき合わされたことがあるのですが、いつも「あんたは漫才師のマネージャーだから、芝居のことなど、何も分かってない!」と説教された挙句、爆睡している彼女を武庫之荘のマンションまで送って行ったのは2度や3度ではありませんでした。今となっては、ほろ苦い、でも懐かしい思い出です。

 

 

 

北新地の「づぼら」

 

 

 

 

 

カバのテツオくん

 

 

原哲男さん

 

大阪市会議員を6期24年にわたり務められた船場太郎さん

 

 

山田スミ子さん