木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 こうして、新喜劇の改革を決意したのはいいのですが、問題は一体誰にこのプロジェクトを担ってもらうかということです。何せ大仕事です、とても一筋縄に事が運ぶとも思えません。もとより非難が自分に向くのは承知の上のこととは言え、現場の皆から怨嗟の的になっても耐えられるタフな人間でなくては到底耐えることはできません。「さて?」と考えた時、私の頭に浮かんだのはたった一人しかいなかったのです。そう大崎君、今の社長です。東京事務所のスタート時に共に上京し、大阪へ帰ってからは、ゼロから2丁目を立ち上げ、見事にダウンタウンを始め、新しいタレント達を世に送り出した男です。彼ならきっとこの困難な状況を突破することが出来るに違いないと思ったのです。

 「すべての仕事を投げうって、新喜劇の改革に取り組んで!」とは言ったものの、彼の心中は複雑なものがあったことは想像に難くありません。きっと、「せっかく2丁目がうまくいったら、またこれかよ!」という思いに駆られたことでしょう。でも、そんな心中はともかく、彼は、共に2丁目を立ち上げた中井君や、竹中君とYSP(吉本新喜劇改革プロジェクト)をたち上げ、「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」を主導してくれました。

 7月、テレビ中継をしていただいている、MBSの竹中文博制作局長と渡邊一雄制作部長には状況をご説明した上で、「新喜劇を解体し再出発する」旨をメンバー全員に告げ、8月6日に花紀京さんと岡八郎さんを除く、他のメンバー全員との個別面談を行うことにしました。ただ、花紀さんと、岡さんのお二人には敬意を表して、来ていただくのではなく、こちらからご説明に上がらねば、礼を失すると思ったのです。

 「大事は理を以て決し、小事は情を以て決す」という言葉がありますが、今にして思えば、当時の私に果たしてそれが出来ていたのか否か?至らぬところが多々あったのではないかと思います。もし何年かしてあの世でお目にかかることがあれば、お詫びをしなきゃいけないなと思っています。

 朝の10時から午後7時までかかった面談で、来ていただいたメンバーの方に伝えたのは、「新喜劇は危機に瀕している」「これからも存続させていくためには、いま全面リニューアルをするしかない」「これからは役者さんありきではなく、台本をベースにキャスティングしていく」「したがって、今までメインを張っていた人と言えど、通行人Aというケースもあるかもしれない」「それでも、やっていこうという人だけ残っていただけますか?」というお願いでした。

 数日後、岡さんから直接お電話をいただき、「こらぁ、殴られても仕方ないよな?」と覚悟を決めて梅田花月へ出向いたのですが、劇場近くの富国生命ビルの地下の喫茶店で、「そろそろ自分も卒業しようかと思う」と言っていただき、ホッと安堵の胸をなでおろしたのを憶えています。花紀京さんとは、直接お目にかかることはなかったのですが、人づてに「自分は前からそう思っていた」とのこと、いかにもあの人らしい気持の伝え方だなと得心しました。こうして花紀京さん、岡八郎さん、原哲男さん、船場太郎さん、山田スミ子さんらが退団をして、新喜劇は再び新しいスタートを切ることになるのです。とはいえ、この人たちは、吉本を辞めたということではなく、新喜劇というシステムから外れる、いわば、宝塚歌劇団でいう専科のような扱いになったのです。

「やめよッカナ?キャンペーン」のポスター

 

 

 

 

 

 

 

 

(イメージ)