木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 やすし・きよしさんは83年4月からテレビ朝日で「やすきよ笑って日曜日」という45分間のレギュラー番組を持っていました。かって「大正テレビ寄席」をやっていたのと同じ枠です。大阪の朝日放送は以前と同様に「やっさんのはちゃめちゃ捕物帖」という別番組やっており、横山さんは東京と大阪で、同じ時間に別のレギュラー番組つという何とも不思議な体験をしていたわけです。

 番組は2つに分かれ、前半はサラリーマンの常連客に扮したやす・きよさんが、池波志乃さんがおかみの居酒屋を訪れて交わす爆笑トーク、後半はそれぞれの家庭で繰り広げられるコント仕立ての風景となっていました。横山家の奥さんには吉本新喜劇の山田スミ子さん、子供役には小川範子さんと、まだ14歳の実子・木村一八君、西川家の奥さんは鮎川いずみさん、子供役にはこれも実子の忠志君と弘志君が出ていました。コメディ部門の脚本を元木すみおさん、清水東さん、三谷幸喜さんの3人が回り持ちで担当をしていました。

 3年間続いた番組は、西川さんが7月の参議院選挙に出馬することになったため、86年4月に終わって、横山さんと伊東四朗さんの「みんな気まぐれ日曜日」に引き継がれますが、一八君にとっては、この番組がタレントとしての人生を始める大きなきっかけとなりました。

 翌84年には小林俊一さんから、フジテレビで10月10日19時30分から放送する、「走れ15才!はじめての旅立ち」というスペシャルドラマの主演依頼が入ったのです。小林俊一さんと言えば、68年に渥美清さんとコメディドラマ「男はつらいよ」、78年には「白い巨塔」など数多くのヒット作を作られた名プロデューサーとして知られた方です。当時はフジテレビをやめて、自ら「彩の会」というプロダクションを主宰されていました。ご依頼のあった作品の内容は、460㎞の自転車旅行に挑んだ15才の少年の精神的成長過程を描くというもので、お母さん役に泉ピン子さん、お父さん役に愛川欽也さんというキャスティングでした。

 一八くんは、それまでテレビに出ることはあっても、お父さんとの共演ばかりだったので、彼が自立する為には格好の機会だと思い、お受けすることにしました。とはいえ、一八君にとっては初めての体験、大いなる不安もあったのですが、幸いなことに、お母さん役の泉ピン子さんが、やす・きよさんと関西テレビの「相性診断!あなたと私はピッタンコ」を5年間一緒にされていたこともあり、演技指導を含めて、何かと気を使っていただき、おかげで無事に乗り切ることができました。ピン子さんが、伝説のドラマ「おしん」などに出演をされて、本格的に今日のような大女優への道を歩み始められた初期の頃のことです。仕事終わりに、宿泊先の銀座日航ホテルで、「どう?大丈夫」と聞いたとき、小さな声で「はい」と消え入りそうな声で答えた時は、まだ気の弱そうな少年でしたね。

  

 

横山やすしさん、木村一八君の親子共演レコード「人生はタタカイやで」(1983年発売・クラウン)

 

晩年の小林俊一さん

 

テレビ版「男はつらいよ」

 

「男はつらいよ」で渥美清さんと(左が小林さん)

 

「白い巨塔」で主演の田宮二郎さんと

 

これは一八君ではありません