もしかしたら、あの遅刻は横山さん流の作戦だったのかもしれません。それが証拠に、横山さんは直前になって入ることはあっても、一度として番組に遅れたことはなかったからです。役者さんがリハーサルを重ねて演技を固めていくのに対して、お笑いをやる人というのは、最初がテンションも高くて、一番面白いものなのです。かって、横山さんがアルコール飲料のCMに出演したとき、何枚も写真を撮り続けるカメラマンに向かって、「どうせ1枚しか使わないんだから、プロなら一発で決めてみろ!」と怒鳴ったことがありました。その場は「まあまあ、カメラマンにも都合ってものがあるんですから」と言って収めたのですが、横山さんの怒りはなかなか収まりませんでした。たしかに、言葉は乱暴でしたが、この言葉の裏には「ルーティーンに陥らないで、真剣に取り組めよ」という意味が込められていたのです。
そんな横山さんが、「TVスクランブル」をいい加減に考えていたとは思えません。横山さんとしては、番組の進行は、スキルに長けた久米さんに任せて、自分はひたすら「どう、キレのあるコメントを吐けばいいのか?」ということに考えを巡らせていたのかもしれません。そういう意味では、この「TVスクランブル」という番組は、司会の名手・久米宏さんと、漫才の天才・横山やすしさんとの真剣勝負の場であったような気がします。
番組は、キャラクターの異質な2人の取り合わせや、コーナー企画の面白さなどもあって、人気を呼ぶようになっていくのですが、次第に横山さんは外連(けれん:歌舞伎などで、見た目本位の奇抜な演出・演技)に走るようになっていきました。本番中にトイレへ行ってみたり、くしゃみをして観客に「ティッシュ持ってないか」と声をかけたり、放送禁止用語を口にして注意を受けた翌週、口に✕印の入ったマスクをつけて無言で通したり・・・それはそれで生放送らしく、面白かったのですが、私には「テレビという場で、漫才の天才が、司会の名手に後れを取った焦燥感の発露」ように思えました。「TVスクランブル」には都合2年ばかり出演させていただいたのですが、この頃から次第に、横山さんは酒の匂いを残したまま番組に出演するようになりました。
番組は、やすしさん降板のあと、1年ほど毎回ゲストを呼ぶ形式になり、立川談志さん、清水國明さん、渡辺美智雄さん、森喜朗さんといった、タレントや政治家を迎えて繋いだのですが、以前の視聴率を超えることはなく、「天才・たけしの元気が出るテレビ」にバトンを渡すことになり、久米さんは半年間の充電後、同じ85年10月からテレビ朝日が本社移転を機に始めた「ニュースステーション」のメインキャスターを務めることになるのです。
「怒るでしかし!」
歌舞伎の外連