木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 翌82年10月からは、日本テレビがオフィス・トゥーワンと共に、従来のドラマ枠を変更して、「TVスクランブル」という生情報バラエティ番組を始めることになりました。毎回、旬の話題をビデオ構成で取り上げ、それについての感想をメインパーソナリティの久米宏さんと横山やすしさん、日本テレビ解説委員の福富達さんらがコメントをするという内容でした。久米さんは79年にTBSを退社してフリーになられ、以降もTBS時代からの「ザ・ベストテン」や、日本テレビの「おしゃれ」の司会をされていました。私も「料理天国」時代に面識があり、その久米さんの、たってのリクエストということで横山さんにも出演していただくことになりました。

 生放送ということで、いつもは放送直前にスタジオ入りする横山さんにも、第1回目の放送の際には3時間前には入っていただきましたが、回を重ねるごとに入り時間は、2時間前、1時間前、30分前、ぎりぎり、と変化をしていくようになります。本人にすれば、司会進行はすべて久米さんがやり、自分の役目は久米さんから振られた時にコメントをするだけだから、という思いもあったのでしょうが、スタッフにすれば「生放送だけに、もしものことがあっては?」という心配が先に立つのは当然のことだとは思います。しかも、悪いことに日曜日は本来、横山さんにとっては、仲間たちとボートレースをやる日でもあったのです。

 初めのころは本番の行われるKスタ横のロビーで、皆が仲良く日本テレビでOAされる番組を見つつ談笑などしているのですが、本番30分前の「日立ドキュメンタリー・素晴らしい世界旅行」が始まる頃になると、1人去り、2人去りと次第に人が減っていき、皆が寡黙になっていくのです。残った人も、視線こそテレビのほうに向けられてはいますが、心の中では「やすしさん、今日はいつ現れるんだろう?」と心配しているのがひしひしと伝わってくるのです。そんな思いが極限に達したところで、決まって「悪い悪い!いやーボートレースで鹿島へ行っとって、道が混んどってやな、本番に間に合わせんといかんので、路肩を走ってきたんや」などと言いながら、横山さんが現れるのです。

 人間の感情とは不思議なもので、その途端にそれまで怒りに燃えていたことを忘れて、「いや、よくぞ来てくれました」という風に変わってしまうのです。私などはもうその手口には慣れっこになっていましたが、スタッフの皆さんはいい人ばかりで、心の中では「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。毎週日曜日になると、決まって朝から胃のあたりがキリキリしたのを、今でも忘れられませんね。

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メインパーソナリティを務めた、久米宏さんと横山やすしさん