木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 この頃の思い出深い番組に、81年4月から始まったテレビ朝日の「ザ・テレビ演芸」があります。横山やすしさんが司会でアシスタントに女性がつくというもので、都合8人が務めたのですが、横山さんは6代目の堀江しのぶさんがお気に入りでした。日曜日の午後3時からの1時間番組で、関西では系列のABCが「吉本コメディ」を放送していたために、近畿放送(現KBS京都)とサンでテレビで時差放送していました。プロデューサーは「大正テレビ寄席の」中江尭故さん、ディレクターが二宮久友さん。

 構成は3部に分かれていて、1部が旬の芸人さんが出演する「激突ナウ演芸」、2部が新宿末広亭からの中継、レポーターにあの高樹沙耶さんが出ていましたね。そして3部が「とび出せ笑いのニュースター」、新人同士が対戦をして、3週勝ち抜けばプロになれるというこの番組の目玉といっていいコーナーでした。審査員もなかなかの面子で、大島渚、糸井重里、山本益弘、高信太朗、花井伸夫さんという、各分野の一家言ある人たちを集めた豪華なメンバーで構成されていました。各人、それなりに辛辣なコメントをされるのですが、そのコメントが、もしも横山さんの哲学に合わなかったときには、「〇〇さんそれは違う!」と頭から否定されてしまうので、出演者以上に、審査員の人たちがみなプレッシャーを感じながらコメントされておられる様子が可笑しかったですね。審査員の皆さんも、番組開始時には、まさか自分が審査されるとは、思ってもおられなかったでしょうね。

 ちなみにこのコーナーの初代グランドチャンピオンは、「笑点」の新司会者になられた春風亭昇太さんでした。当時はまだ東海大の学生さんで、たしか落研にいらっしゃったと思います。同じくグランドチャンピオンに選ばれた竹中直人さんの、「笑いながら怒る人」という不思議な芸は、横山さんも、審査員の皆さんも絶賛されていましたね。こうして褒められた人たちはいいのですが、中には酷評されただけで終わった人もいます。82年、まだ駆け出しだった「ライト兄弟」、演じた漫才を「チンピラの立ち話や!」と評され、悄然とステージ裏へ引き上げてきた2人に、「あれはあくまでも横山さん個人の意見だから、気にすることないよ!」と声をかけたものの、言われた当人たちにとってはショッキングな出来事ではあったと思います。後に「ダウン・タウン」として大成をする、ずっと以前の話です。

 以降、何度か不祥事を重ねながらも、中江さんを初めとするスタッフの皆さんの温かさに守られて、8年弱の間、司会を務めたのですが、ついには自ら泥酔して、司会をゲストであるいくよ・くるよさんが代わる仕儀に至っては、降板もやむを得ず、後事を西川きよしさんに託すことになるのです。「他人に厳しく、自分に甘い」横山さんらしいエピソードです。

大島渚さん      糸井重里さん   山本益弘さん   花井伸夫さん     高信太郎さん

 

「笑いながら怒る人」という芸を演じる竹中直人さん

 

演じた漫才を「チンピラの立ち話や!」と評し、ダウンタウンを一喝する横山やすしさん

 

横山さんがお気に入りだった6代目アシスタントの堀江しのぶさん