木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 野沢直子さんはこの後、「お昼だドン」(テレビ東京)、「ひょうきん予備校」・「笑っていいとも」(フジテレビ)、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」(日本テレビ)などにレギュラー出演して、ダウンタウンやウッチャンナンチャン、清水ミチコさん達とともに「夢で逢えたら」(フジテレビ)にも出演するようになるのですが、横澤さんに初めて彼女を紹介したときに、「お猿さんみたいだね」と言われていたのを憶えています。そういえば、2年半、解答者としてお世話になった人気番組「SHOW by ショーバイ」で、彼女の素っ頓狂な言動と、破天荒な解答が、周りを笑いの渦に引き込むので、フリーになったばかりの逸見正孝さんが、どう対処していいか分からずオロオロされていたといいます。

 その様子を、同じ解答者として目撃されていた山城新伍さんが後に、真面目一本だった逸見政孝をあそこまで面白いキャラクターに育てたのは、野沢直子の功績が大きい」と評価さていたそうです。名古屋でも、若者向けの人気番組「5時SATマガジン」(中京テレビ)の司会を4年間も務めていました。 CDも「鼻血」(「おーわだばく」「マイケル富岡の夜は更けて」など)や「深爪」をリリースし、映画「マネーざんすっ」で監督、「林家パー子の野望」では監督・脚本まで熟しました。

 そんな彼女でしたが、91年3月、すべてのレギュラー番組を投げうって、アメリカへ旅立ちました。かの地でバンド仲間と結ばれ、今は年に1度帰国して番組に出演しているといいます。私が、彼女からその決断を聞いたのは、すでに戻っていた大阪本社でのことだったと思いますが、「それも、いいんじゃないか!」と言葉を返しつつ、「ちょっと、もったいないな」という思いが拭えなかったのを憶えています。それほど、彼女は大きな貢献をしてくれたということです。

 とはいえ皆が、斎藤ゆう子さんや、野沢直子さんのように成功したわけではありません。三枝さんの弟子で、スクールメイツ出身のクルミ・ミルクという女性漫才コンビがいました。一応歌手を目指していただけあって、それなりに可愛いかったのですが、いかんせん笑いのセンスはゼロ、仕方なく、初代B&Bで、お笑い作家をしていた萩原芳樹君に預けたものの、上達はおぼつかず。仕方なく、当時東京ではまだ全く知られていなかった、若井こずえ・みどりさんのネタを完全コピーしたところ、けっこう形になり、何本か演芸番組に出たあと、初期の「ひょうきん族」にも出してはいただいたものの、いつしか姿を消していきました。クルミが漫才の中で飛びながら相棒のミルクにツッコミを入れる「ジャンピング・ツッコミ」をあのビートたけしさんが真似たこともあったんですがねえ。今どうしているんでしょう?

ダウンタウンやウッチャンナンチャン、清水ミチコさん達とともに出演した「夢で逢えたら」

 

惜しくも48歳の若さでご逝去された逸見政孝さん

 

CD「はなぢ」と「ふかづめ」をリリース

 

「トン吉 チン平 カン太」

 

悩殺ポーズをとるスクールメイツ出身のクルミ・ミルクさんとお二人が出演するポケットミュージカルのチラシ