木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 「THE MANZAI」で勢いを得たフジテレビは、新宿東口のスタジオから生放送されていた「日本全国ひる休み」(司会:押坂忍・栗原アヤ子)をやめ、10月1日から横澤班で新番組「笑ってる場合ですよ」をスタートすることになりました。司会はB&B、これに月曜日のサブロー・シロー、火曜日のツービート、山田邦子、水曜日の紳助・竜介、ヒップアップ、木曜日の小朝、さんま、のりお・よしお、金曜日のザ・ぼんち、九十九一といったメンバーがコーナーの顔として出演するというもので、山縣・三宅・永峰・佐藤・荻野という5人のディレクターが各曜日を担当しました。そうそう、毎週、東京乾電池が担当する「乾電池ニュース」というコーナーもありましたね。

 公開生放送ということで、当時は先着順で入場ができたために、学校をサボって来る子がいたり、将棋倒し事故が発生したりと大変な人気を集めました。サブロー・シローが、大阪から来たときは何でもなかったのに、番組を終えて大阪へ帰る時にはファンが押し寄せて大変だったという逸話があるほどの影響力があったのです。

 おまけに、10月7日に放送された「THE MANZAI」(ツービート、B&B、セント・ルイス、おぼん・こぼん、紳助・竜介、ザ・ぼんち、のりお・よしお、サブロー・シロー、やすし・きよし、やすこ・けいこ)が過去最高の28.8%の視聴率を記録したこともあって、この勢いはいったいどこまで続くのだろうと空恐ろしく感じたことさえありましたね。

 当然のことではありますが、他局からのオファーも殺到し、我々2人ではとても手が回らず、大阪から来た、ザ・ぼんちの担当マネージャーの山崎善次郎君に手伝ってもらっていて、大阪の本社から「早く山崎を返せ!」と猛列な勢いで抗議をされたこともありました。そうこうしているうちに、ザ・ぼんちにレコーディングの話が来たのです、あのフォーライフから。フォーライフといえば吉田拓郎さんや小室等さんらのフォークシンガーと、彼らをマネジメントする後藤由多可さんが作った気鋭のレコード会社ではありませんか。今までの大手レコード会社にない魅力を感じて、まずは話を聞いてみることにしました。

1980年10月1日にスタートした新番組「笑ってる場合ですよ」

 

フォーライフレコード発足会見

 

後藤由多可さん