木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 一方、「花王名人劇場」は、ドラマ部門での低迷こそ続いてはいましたが、4月6日放送の「爆笑三冠王」(仁鶴、三枝、やすし・きよし)や、6月22日放送の「絶好調!オールスタ―上方漫才!」(やすし・きよし、コメディNo1、ザ・ぼんち、紳助・竜介、一球・写楽、人生幸朗・生恵幸子)が、東京15%、大阪33.4%の視聴率を稼ぐようになっていました。

 そうそう、この番組ではうれしい誤算がありました。企画会議の際にプロデューサーの澤田さんから、「男ばっかりで色気がないから、だれか女のコンビがいたら連れてきて」と言われたのです。思わず、昔「てなもんや」の時代に「ブスを5人連れてきて」と言われたのを思い出しましたね。どうして、「誰々を」と指名されなかったのが不思議です。多分、澤田さんにはこずえ・みどりさんのことが念頭にあったのでしょうが、そんなことは知ったことではありません。何とかチャンスを与えたいとの一心で、いくよ・くるよを伴って収録の行われる国立演芸場へ乗り込むことにしたのです。皆が和気あいあいと歓談する新幹線の車中で、ただでさえ緊張している彼女たちに「こんなチャンスは滅多にないんだから、失敗したらもう後がないからないと思って、頑張れよ!」とプレッシャ―をかけたのを覚えています。

 先に舞台へ出た先輩たちがウケるのを見て、更にプレッシャーがかかって青ざめている彼女たちが、澤田さんに背中を押されるように舞台へ出てくるのを客席で見た時には、心臓の鼓動がはっきりと聞き取れるくらい緊張しました。澤田さんと言えば、まだラジオしかなかった時代にABCの「漫才教室」でやすしさんがプロになるきっかけを作った名伯楽です。この人に任せれば何とかなるという予感めいたものもありました。

 ウケたんです、これが! スタッフや共演の皆さんの温かさと、いいお客さんとに助けられたとはいえ、この日を境に、彼女たちもブームの一員として広く認知されるようになっていったのです。

 そして、7月1日放送された「THE MANZAI」第3弾(ツービート、B&B、紳助・竜介、ザ・ぼんち、のりお・よしお、やすし・きよし、やすこ・けいこ)が、ついに前回を10%上回る、27%もの高視聴率を記録します。

 「THE MANZAI」が若者を中心としたポップなつくり、「花王名人劇場」が幅広い層をターゲットにしたオーソドックスなつくり、という違いはありましたが、この2つの番組が、のちに「MANZAIブーム」と言われたムーブメントの起点となったことは疑う余地のないところです。かたやフジテレビ、もう一方が関西テレビ・東阪企画の制作とはいえ、いずれも8チャンネル。私たちの仕事も、当然この2つの番組を軸に組み立てるように傾斜していきました。

今いくよさん、くるよさん

 

写真右・天才少年漫才師と言われた堺 伸スケさん(やすしさん)

 

1959年当時の劇場ポスター。左は堺伸スケさんが出ている角座、

右は大村崑さんが出ている梅田花月です。

 

レツゴー正児さんとコンビを組んでいた頃(1965年当時)