木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 1979年9月、東京に移籍したB&Bは瞬く間に高い評価を得て、翌80年1月、あの澤田隆治さんプロデュースによる「花王名人劇場・漫才新幹線」で、やす・きよ、セント・ルイスさんと共に出演をして、脚光を浴びるようになるのですが、当初企画されたのはこのキャスティングではなく、「アラン・ドロン、B&B,ツービート、Wヤング」の4組だったといいます。それが10月25日の中田軍治さんの自殺によって、変更になったのですから、運命の機微というものを感じざるを得ません。

 この花王名人劇場が10月にスタートした当時は、森繁久彌さんや山田五十鈴さんなどの大物俳優を起用したドラマからスタートしたのですが、思ったほどの視聴率が稼げず、方向転換を図っていた時期でもありました。その起死回生策ともいうべき「漫才新幹線」が、視聴率を東京で15.8%、関西で27.2%を記録することができたのですから、番組自体としても愁眉を開くことができたというわけです。後々、この枠から芦屋雁之助さん主演の「裸の大将」というドラマのヒットシリーズが生まれますが、この番組が都合10年半に亘って続けられたのは、この「漫才幹線」の果たした役割が、とても大きかったように思います。もし、当初のメンバーで放送をしていたら、果たしてこれだけの視聴率を稼げていたでしょうか?

 ちょうど、そんな折でした。いつものようにフジテレビの制作部を訪ねると、「ハイヌーンショウ」や「爆笑ゴールデンショー」などでお世話になっている佐藤義和さんから、「今度新しく我々の部門の責任者になった人を紹介します。」と一人の方を紹介されました。見ると、物腰の柔らかそうなおじさんが近づいてきて「何もわかりませんので、よろしくお願いします」と名刺を差し出されました。拝見すると「横澤彪」さん。前任の、ちょっと曲者っぽい新谷進英さんや、私が何かしくじりをした折に「3年間出入り禁止」を通達されて、そのまま3年間も仕事をさせてもらえなかった常田久仁子さんに比べて「随分腰の低い人だなあ」と思ったのを覚えています。この時は、まさか、後年あれほど長いお付き合いをするようになるとは思ってもいませんでしたねえ。

若き日の澤田さんと、三枝(現・文枝)さん

 

花王名人劇場のプロデューサー澤田隆治さん