木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 仁鶴さんはその後、ABCを退職して東阪企画を設立された澤田隆治さんからの誘いもあって、NTV「ズームイン朝」の「おはよう新婚さん」というコーナー司会をやることになり、私も収録の京王プラザホテルへ週2回ほど行くことになりました。そうそう思い出しました。この番組の収録が終わった後、一人でエレベーターに乗ると、何と高倉健さんが一人で乗っていらっしゃたんです。どうしてサインを貰わなかったのか今でも悔やまれますが、そう思わせない凛とした佇まいに気圧されたのかもしれませんね。

 一方の、花紀さんは花月以外に、梅田コマや新宿コマなど、他劇場への出演も多く、多くの役者さんと同様に、普段はほとんど一人で動かれていました。そんな花紀さんに東京のNHKから「コメディー公園通り2」への出演依頼が入ったので、私もそれをフォローすることになりました。やす・きよさんのマネージャーを離れて以来、少し頻度が落ちていた東京行きの機会がまた増えてきたのです。NHKが内幸町から渋谷へ移り「パルコ」ができて、石岡瑛子さんをアートディレクターに登用、タウン誌「ビックリハウス」なども発刊、新しい人の流れをつくったこともあって、「区役所通り」と呼ばれていた通りが「公園通り」と呼ばれるようになり始めていた頃のことです。堺正章さんや井上順さん、桜田淳子さんといった方々を相手に飄々と演じる花紀さんの姿は、花月劇場で見る姿とはまた違った味があるように思えました。収録を終えて、食事をとりながら伺った数々のお話は、テーブルに供されたどんな料理よりも「おいしかった」ような気がします。

 仁鶴さん花紀さん、お二人ともが、人生経験が豊かで世事や人情に通じ、それをベースに穏便で適切な判断ができる、いわば「酸いも甘いも噛分けた」大人だったということです。それまでの私は、関わったタレントさんを売り出すために、自分なりの戦略を立てて、時にはその人たちの意向を無視してでも描いたプランを押し通そうとしていました。このお二人に触れて、初めてそれまでの自分の拙さに、気付かされたような思いがしました。

 考えてみれば、やす・きよさんのマネージャーを外れろと言われたのも、「ちょっと頭を冷やして、勉強し直して来い!」という上の判断だったのかもしれません。にもかかわらず、「会社は、社員よりもタレントの方を尊重するんだ」と恨みに思っていた自分は、なんと浅はかだったのでしょう。やす・きよさんとのお付き合いは、マネージャーを離れて以降も長く続くことになりますが、それについては、また後々に触れることにしたいと思います。

「コメディー公園通り」の台本

 

若者文化の発信拠点として1973年にオープンしたPARCO

 

タウン誌「ビックリハウス」

 

収録が行われていた京王プラザホテル