木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 Wヤングさんのリサイタルも無事終わり、一息ついていた私に「笑福亭仁鶴さんと、花紀京さんを担当しろ」という新しいミッションが下りてきました。仁鶴さんは、「今日の吉本は、この人が作った」といわれるほどに貢献のあった方です。OBCの「オーサカオールナイト・夜明けまでご一緒に!」という深夜放送で、それまでの概念を打ち破って、「ごきげんよう!ごきげんよう!」とがなり立てるテンポの速いしゃべりでデビューを果たして以来、脚光を浴び、テレビの世界でも「視聴率を5%上げる男」と異名をとるほどの人気を博し、番組の改変期には、各局が仁鶴さんの出演をめぐって、争奪戦を演じたといいます。そんな仁鶴さんも、さすがにそれまでの酷使が祟ったのか喉を傷めて、少し仕事をセーブしようかとされていた時期でした。

 一方、花紀京さんは、ご存じ横山エンタツさんのご次男で、「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」「細うで繁盛記」「どてらい男」など生涯に6000本を書いたといわれる脚本家の花登筐さんに師事した後、吉本入りをしたサラブレッドで、ギャグを嫌い、会話のやり取りで笑わせるのを良しとした人でした。ニット帽を被り、ニッカーポッカー姿で、岡八郎さんと交わす会話には絶品の趣がありました。

 お二人とも芸を極め、品物に例えて言えば完成品に近い方、しかも私より9歳も上。「いったい、この私に何をしろというんだ?」と思いましたね。発展途上のタレントさんのマネージャーって、一緒に「頂点を目指そう」という目標があって、やりがいがあるのです。夢も見られますし、戦略も描けます。でも、成熟期に入ったタレントさんのマネジメントは、そう一筋縄にはいかないのです。案の定、意気込んでご自宅へ挨拶に伺った仁鶴さんからは、「まあ、ボチボチやんなはれ」と軽くあしらわれてしまいました。花紀さんの場合も然り。さて困った。考えたあげく、まずは、四の五の言わずに、お二人の現場をフォローすることから始めることにしました。いままで、苦手として敬遠していたこのお二人と仕事ができるようになったら、苦手というものがなくなるのですから。「十九」じゃなく、「三十一」の春、入社9年目のことでしたね。

ニット帽とニッカーポッカー姿の花紀京さん

 

花登筐さん