木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 三枝さんには私より一回りくらい年上の温厚な先輩、仁鶴さんには3歳上の茶目っ気のある先輩がマネージャーとして付いていたのですが、この茶目っ気のある先輩がなかなかの曲者で、難波花月で一緒になったとき「おい、木村君、ちょっと話があるんや」と近くの喫茶店に連れて行かれ、「○月○日のやす・きよのスケジュールどうなってる?」と聞かれ、「この日は劇場の出番だけで、比較的空いてますね」と答えると、「昼の1時間だけ空けておいて」と言われたのです。「いったい何の仕事ですか?」と食い下がる私に、京都で大型靴店がオープンするので、その記念イベントに出てほしいんや、仁鶴さんも一緒やから!」との返事。まあ、仁鶴さんも出演されるんなら、変な仕事ではないだろう」と思い、やす・きよさんにもその旨を伝え、スケジュールにもしっかりと書き込みました。

 さて、本番当日、現場へ行ってビックリ!なんとその靴店というのは京都花月劇場のすぐ隣にあったのです。いまや売れっ子になった仁鶴さんや、やす・きよさんが出演することは滅多にありません。黒山になるほど集まった観客の中にはなんと花月劇場の支配人までが混じっていました。「ちょっとまずいですよね」そう言葉をかけた私に、先輩から返ってきた言葉が「場所、きちんと調べといたらよかったなあ」。「そんなもん、当たり前やろ!」心の中で密かにツッコミ返していると、驚きの言葉が・・・。「こうなったらこの仕事、会社通すしかしゃーないな!」。「えっ、先輩、この仕事を会社を通さない「ショクナイ」でやるつもりだったんですか?」と、まじまじとその顔を見た記憶があります。この先輩、そんなちゃらんぽらんな一面もありながら、不思議と皆から愛され、仁鶴さんの信頼を得て長くマネージャーを務めました。

 私生活では無類の恐妻家で、生駒の自宅へ帰る時は、家の前を3周ほどして、心の準備をしてからでないと玄関のドアを開けられなかったといいます。ある時、口喧嘩になって、奥さんの投げたビール瓶を顔で受け止め、ポチのような目で出勤して、あまりの悲惨さと滑稽さに誰もツッコめなかったこともありましたね。今、どうしていらっしゃるんでしょうかね?ご無事であることをお祈りします。

ポチのような目で出勤したこともある〇〇先輩

 

新京極。右側(左り馬)の手前に京都花月がありました。