木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 必ずしも第一希望ではなかったけれど、「まずは、3年頑張ってみよう」。そう思って入った吉本興業でしたが、仕事の面白さに惹かれて過ごすうちに、いつの間にか5年の月日が流れ、待望の後輩社員が3人入り、それぞれが仁鶴さん、三枝さん、そしてやす・きよさんという売れっ子の担当マネージャーに、サブとして付くことになりました。3人とも2浪ですから、私よりも5年後輩の3歳下ということになります。私の下に付いたのは、同じ大学の同じゼミ出身者。もちろん仕事の選択や、ここという時の決断は私がしましたが、飲み込みが早い彼のお陰で、ルーティンの仕事は安心して任せられるようになりました。

 実は、コンビのマネージャーというのは大変なんです。一人のタレントさんのマネージャーなら、その人の意向を忖度して仕事をしていればいいのですが、コンビの場合、どちらかが圧倒的にイニシアティブを持っている場合はともかく、それ以外の場合はそれぞれに了解を取る必要があるからです。秋田Aスケ・Bスケさんのように、舞台を降りたら口もきかないほど仲が悪い場合は、どちらか片方に伝えていても、相棒の方には伝わっていなかったということがありました。現にこの二人の場合は、担当者が翌日の仕事を「大津」と伝えたところ、一人は滋賀県の浜大津、もう一人は大阪の泉大津へ行ったということもあったようです。

 それは極端な例にしても、あまり話しかけやすい方の人にばかりと会話をしていると、相棒の感情を損ねかねないということもあり、できるだけ二人が揃っている前で要件を伝えるように気を配らなければならないからです。コンビ間の感情というのは複雑なもので、相棒は「最大の味方」であると同時に、「最大のライバル」であるという側面もあるからです。Aスケ・Bスケさんの場合も、かって猿マネで一世を風靡したBスケさんが、話術ではなくいつまでもギャグに走るのを、Aスケさんが心快く思っていなかったということが伏線としてあったのかもしれませんね。コンビを60年も続け、上方演芸の殿堂入りした名コンビにもそんな一面があったということです。

秋田Bスケさん(左)、Aスケさん(右)

 

宝塚新芸座初の東京公演(帝劇)のパンフレット

ミスワカサ・島ひろしさん、夢路いとし・喜味こいしさん、秋田Aスケ・Bスケさん

 

その間、83.3km

乗換3回

乗車時間 1時間44分