木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 当時東京では、NET(現テレビ朝日)で日曜正午から放送している「大正テレビ寄席」という人気演芸番組がありました。ウクレレ漫談の牧伸二さんが司会で、主に東京のてんや・わんや、チック・タック、千夜・一夜、玉川カルテット、桂子・好江さんといった、東京の漫才師さんたちがゲストとして出演されていたのですが、月に2度くらいは大阪からもゲストが招かれていました。もちろん、かしまし娘やレッツゴー3匹、いとし・こいしといった他社の方も出演されるのですが、やすし・きよしやコメディNo.1、Wヤングなど吉本の芸人さんが出演する時は欠かさず同行していました。

 収録会場は渋谷の東急文化会館、あちこちに同業者の顔が見られて、にこやかな笑顔の裏に、大阪から来たゲストの「お手並み拝見」というアゲインストムードいっぱいの楽屋でした。もちろん、招かれた方の大阪勢もその空気は察知していて、まるで敵地に乗り込むかのような緊張感で舞台に臨んだものです。そんな空気を和らげてくれたのが泉ピン子さん。まだ当時は牧伸二さんの付き人をやっていて、お父さんがブッキングを任されている佐藤事務所の専務だったこともあって、お茶子さんの代わりをやっていらっしゃったのだと思います。後年、「ウィークエンダー」を経て大女優になられる、まだまだ前の話です。

 いつも、アウェーの中で奮闘する大阪勢を客席の最後方で見て、収録の後に「なんだ、もう帰るの!泊まるんだったら食事くらい御馳走したのに!」という東京の芸人さんのお誘いを断って、自分たちで食事をとりながら反省会をするのが常でした。この時確信しましたね、東京勢には絶対負けていないと!

 この番組、頭に大正と付いているくらいですから、大正製薬の一社提供番組だったのですが、(当時)同じ系列の同じ時間帯に大阪では「サモン日曜お笑い劇場」という吉本新喜劇の劇場中継をやっていたのです。サモンと付く以上同じ大正製薬の提供であることは言うまでもありません。同じ系列で同じスポンサーが東西で別々の番組提供するなんて稀有の例だと思います。東京・大阪どちらの番組も、地元以外ではそれほど視聴率を稼げなかったのが理由だと聞きましたが、まだまだ東西の「お笑い格差」が大きかったということなんでしょうか。

ウクレレ漫談の牧伸二さんと大正テレビ寄席の台本

 

ウィークエンダーのリポーターに抜擢された頃の、泉ピン子さん