木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 話を戻します。横山さんがテレビに復帰できたのは事件から2年4カ月後のことでした。翌月にはABCで「プロポーズ大作戦」や、NTVの「スターに挑戦」が始まり、マスコミの世界で「やす・きよコンビ」の回復が図られていくようになりました。とりわけ「スターに挑戦」はさすがに東京キー局だけあって、提示されたギャラも在阪局とは雲泥の差があり、「こんなに頂けるのか!」とプロデューサーの木村尚武さんの顔をまじまじと見たものです。この木村さん、歌番組のプロデューサーによくありがちな調子のいいタイプではなく、東北訛りの残る、とっても素朴な人柄で、ニックネームの「大臣」と呼ばれていました。米沢のお父様が大物政治家であることに加え、悠揚迫らざる態度からそう言われていたらしいのですが、やすしさんのテレビ解禁後、真っ先に声をかけていただけたのは本当にありがたかったですね。ようやく欠けていたピースが揃い、吉本のメンバーは更に強力なものとなりました。

 また、この年には花月劇場3館の入場者が163万人と、開館以来最大の動員を記録しました。特に賑わう正月興行などでは、1000人位のキャパシティの劇場に7000人位の観客が押し寄せ、人が廊下から溢れ出ている様子を見て、帰ろうとする客に劇場スタッフが「まだ入れます」と言って入館を促していました。今と違って、まだ消防法の緩かった時代の話です。「見られへんやないか!」とクレームをつけるお客さんに言質を取られないように、「見られます」とは決して言わないところがミソなんだと、あとで教えてもらいました。昔は夏場の暑い盛りにわざとエアコンを止めて、アイスクリームを売りつけたとか、冬場に暖房を止めて温かい飲み物を売ったこともあったようですが、私が経験した頃にはさすがにそこまでのことはなかったように思います。プログラムが一巡するとお客さんが入れ替わるのですが、出入り口が同じだと混乱するので、見終わったお客さんをいったん舞台に上げて退出口に誘導して、次に新しいお客さんに入ってもらうという工夫も凝らされていました。中には怒って払い戻しを求める人もいましたが、大半は超満員のなか前の人の肩越しに舞台を見て満足してお帰りいただいていたのですから、本当にいい時代でしたねえ。

満員のお客さんで賑わう劇場

2年4カ月後に復帰しました

横山さんとともに復帰会見をする