木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 やす・きよコンビ不在の穴を埋めるかのように、漫才では吉本のコメディNo.1さん、カウス・ボタンさんや、松竹芸能のレッツゴー三匹さん、敏江・玲児さんなどの若手が台頭してきました。私も、コメディNo.1さんにはラジオの公録で和歌山の友が島や、テレビの企画で深夜放送の終わった後、タクシーで移動して敦賀から小樽まで新日本海フェリーに乗って、北海道ロケに付き合ったことがあります。あいにく海が時化て、私や坂田さんだけではなく船員さんまでが部屋に閉じこもってゲーゲー言ってるのに、前田さんだけがただ一人、ご飯のお替りをしていたのを覚えています。カウス・ボタンさんの2人はジーパン姿もよく似合って、アイドルのように人気がありました。先輩に頼まれて彼らと一緒に福岡のRKBラジオへ行ったこともありました。京都のKBSの公録では、2人のあまりの人気ぶりに、彼らが退出する際、通路にロープが張られ、一緒に出演していた、いくよ・くるよさんの2人が一般客に混じって整理されているのを見て、大笑いをしながら救出したこともありました。

 いくよ・くるよさんの2人とは、同じ京都生まれで年齢もほぼ同じということもあって、本当に密に付き合った記憶があります。下手で不器用で、どうしようもないコンビだったのですが、こちらが可愛い方のいくよさんに、打ち合わせと称して深夜に呼び出し電話をかけると、決まってくるよさんを伴って現れるのです。食事をしながらあれやこれや話をし、タクシーで2人を送ってから帰宅をしていたのですが、どこかで、この2人にチャンスを与えられないものかと、もがいていたのも事実です。ある時、そんな彼女たちにチャンスがやってきました。もう番組名は忘れてしまいましたが、その番組の中で、3分間漫才を披露できるというのです。そこで、本番を迎える前夜、2人を自宅に呼んで披露するネタの特訓をすることになったのはいいのですが、ノウハウがあるわけでもない私に、漫才の演出など出来ようはずもありません。結果、彼女たちは単に声を枯らしただけで、惨敗に終わってしまったという苦い思い出があります。

 やがて師匠から自立した2人は、京都の縄手通り辺りのビルの屋根裏に「ファイト&ファイト」というスナックを開いて、接客をしながら会話力に磨きをかけ、後年名伯楽の澤田隆治さんにチャンスを与えられ、見事にそれを活かすことができて本当に良かったと思っています。願わくば、往年の花菱〆吉・花柳貞奴さんのように、女流漫才の大御所として君臨をして欲しかったのですが、残念なことに、いくよさんは一足早く天国へ召されてしまいました。

若き日のくるよさん(左)といくよさん(右)

 

いくよ・くるよ、B&B、紳助竜介さんたちの師匠・島田洋之介・今喜多代さん

 

現在の今くるよさん。左側の人は漫才師ではありません。

 

花菱〆吉さん(左)と花柳貞奴さん(右)

 

 

コメディーNo.1の坂田さん・前田さんと、船員の皆さん、TVクルーと記念撮影

 

坂田さんとツーショット

 

レッツゴー三匹さん

 

敏江・玲児さん