木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 あっという間に1年が過ぎましたが、後輩は入って来ずビリッケツのまま自分の名前は一番端っこに書かれたまま。結局5年間その状態が続いたのですが、たまには先輩や事務の女性たちと近場の避暑地へ出かけたりもしていました。とても家族的で居心地のいい職場ではあったのですが、さすがにこの状態のままだと、「いつまでたっても、先輩たちに追いつけないぞ」という焦燥感を覚えるようにもなってきていました。といって特別な才能があるわけでもない自分が、先輩たちに追いつくにはどうすればいいのか?と考えた時、「3倍働こう、そうしたら1年で先輩たちに追いつける」と思ったんですね。実際に3倍働くなんてことは物理的には無理なのですが、なぜか咄嗟にそう思ったのです。西川さんの影響もあったのかもしれません。天才漫才師と呼ばれた横山さんに対峙するため、愚直なまでに努力を重ねている姿を目の当たりにしていましたからね。

 当時人気番組になりつつあったMBSの「ヤングOHOH」などは、吉本が共同制作をしていたこともあって、部長以下先輩たちが集結していましたから、到底私などが入り込む余地はありません。そこで、先輩たちが現場にあまり顔を出さないABCの番組やKTV、ラジオではOBCに顔を出すようにしていました。顔を出していればプロデューサーやディレクターとも親しくなり、仕事の依頼もいただけるようになります。もっとも当時「100%ディレクター」と言われ、人気絶頂の「てなもんやシリーズ」の生みの親、澤田隆治さんから初めて声をかけられたのが、「君、吉本やったなあ、吉本やったらブスがいっぱい居るやろ、5人ほど連れてきてくれ」という言葉だったのは今でも覚えています。この時は、まさか以後散々お世話になるなどとは夢にも思っていませんでした。「そんな依頼の仕方はないやろ!」と反発したい気持ちはありましたが、こちらは何せペーペーの身、カリスマのような澤田さんに逆らえるわけもなく、「わかりました」とそのまま依頼を受けたのを覚えています。確かに、おっしゃるように美人はほとんどいなかったので、すぐにキャスティングをすることはできたんですが、どこか釈然としない思いだけは残りましたね。

近場の避暑地へ出かけた時の写真

 

宿泊した池田市の「不死王閣」

 

映画「ヤングおー!おー! 日本のジョーシキでーす!」73年11月公開(吉本興業・東映京都の製作)

前列 笑福亭仁鶴、後列左から 横山やすし、西川きよし、岡八郎、岡本隆子、前田五郎、坂田利夫の皆さんたち

 

国民的人気番組となったの喜劇番組「てなもんや三度笠」

 

チンピラやくざのあんかけの時次郎と、小生意気な小坊主の珍念が繰り広げられました。