木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 デスクをしながら勝手マネージャーを自称して、2か月ほど経ったある朝、いつものように「ただいま恋愛中」の収録のあるABCホールへ行くと、何やら異様な雰囲気が漂っていました。新聞記者やカメラマンが押し寄せていて、いつもの和やかなムードとは違う空気を察して、ABC担当の先輩に「何かあったんですか?」と尋ねると、やすしさんが前日深夜の帰宅途中にタクシーと接触事故を起こし、抗議した運転手さんに暴行を働き、打撲傷を負わせたらしいということが分かってきました。悪いことに相手のタクシーに乗っていた客が大阪新聞の記者で、翌日の新聞に大きく報道されてしまったのです。おまけに前月にも同様の事件を起こしていたことや、運転免許証がグアムで買った他人名義のものであることまでが発覚してしまいました。

 この重大事に、会社からは制作担当の専務までが来ていて、さっそくその日の収録からは横山さんを外して、仁鶴さんと西川さんが司会を務めて収録することになったようです。コンビ結成5年、異例の若さで上方漫才大賞を受賞して将来を嘱望されている最中のアクシデントでした。事後処理のすべては吉本の上層部と放送局の幹部との間で決められ、新人の私などの全くあずかり知らぬところでの出来事でした。西川さんには「ただいま恋愛中」の他にもコンビでやっていた仕事の何本かは残されたのですが、劇場の出番はなくなりました。一方の横山さんは10本ほどあったテレビやラジオの仕事を失い、先の見えない謹慎生活を余儀なくされました。過去に謹慎から第一線にカムバックした人の例がなかっただけに、彼の抱えた不安は大きかったと思います。

 幸い劇場だけには4か月で復帰をすることができたのですが、テレビ・ラジオへの復帰が叶ったのは、執行猶予期間が明けた後の2年4か月が経ってからのことでした。ともに務めるステージが終わった後、テレビやラジオに忙しく駆け回る西川さんを見て、ひとり楽屋に残される横山さん、いくら自分が蒔いた種とはいえ、辛いものがあったでしょうね。でも、この2年4か月という時間は、横山さんにとっても、西川さんにとっても、何より私にとっても決して無駄な時間ではなかったのです。

1970年12月3日の新聞各紙は暴行事件の見出しで賑わした

報道記者に囲まれて会見をする横山さん