木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 そんな楽しかった学生生活も終わり、いよいよ社会人デビューの日がやってきました。心斎橋にある吉本興業の本社へ行くと、同じ新入社員となる同期生5人がやや緊張した面持ちで控室に揃っていました。社長の訓示の後、一人ずつに辞令が渡されたのですが、私が受け取ったのはなんと「京都花月勤務を命ず」というもの。ほかの5人は制作や経理、同じ劇場といっても梅田花月や難波花月、いずれも大阪勤務というものでした。「君は家が京都だから・・・」という言葉とともに辞令を渡されたのですが、「またあそこへ戻るのか」と思うと憂鬱な気分になったのを覚えています。新京極という京都随一の繁華街に面した劇場だったのですが、劇場事務所の入り口は、映画「パッチギ」にも出てきた八千代館というピンク専門の映画館のある公園に面していて、毎年冬になると決まってホームレスが凍死するような暗い所にあったのです。しかも裏はお墓、「これじゃ、友達も呼べないよなあ」というこちらの心情をよそに、エスコートしてくれた調子のいい課長は私を劇場に残したまま、何のアドバイスもしないまま、そそくさとどこかへ消えて行きました。

 業務そのものは温厚な支配人と、要領のよさそうな上司のおかげもあって、それほど戸惑うこともなくこなすことができたのですが、困ったのは電話の取次ぎです。テレビなどで売れている芸人さんの場合はいいのですが、梅田や難波に比べ、やすし・きよしさんや仁鶴さん・三枝さんといった売れっ子の出番がほとんどない京都花月では、それほど有名ではない芸人さんが多かったからなのです。でも、それも1カ月もすれば慣れ、空き時間には芸人さん相手に公園でキャッチボールをしたり、暇な芸人さんから楽しく楽屋話を聞かせていただいたりしていました。12月に出した「嘆きのボイン」でブレイクする前の月亭可朝さんもその一人でした。出番の前スタンバイする事務所の椅子に座って弾き語りでこの曲を聴いて、「なんて面白い人なんだろう」と思った記憶があります。きちっとした落語もできるのに、舞台に登場すると「モー、そらほんま!」しか言わないし、途中からはなんと寝そべってしまうのです。中には怒ったり、あきれたりする客もいるのですが、私にはそれが面白くてたまりませんでした。

 舞台で必ず失敗するマジシャンもいて、ステッキが花に変わらなかったり、火薬が湿ってピストルが鳴らず、口で「バーン」と言ってみたり、大根と手首を同時に入れて刃を落とし、大根だけを切るというマジックで、舞台に上げられた子供が「痛い!」と叫んでいるのに、「痛くない!」と強要したり。舞台で縛りあげたアシスタントの紐が解けなくなったこともありました。さすがにこの時は幕を下ろしましたね。ジョージ多田さん、まだご健在なんでしょうか?

社員証に使った写真

 

映画「パッチギ」にも出てきた八千代館

 

これはジョージ多田さんではありません。だって、キュウリが切れていますから・・・