木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 さて明日試験という前の日、吉本興業から一本の電話が入りました。なんと珠算の試験があるというのです。募集要項のどこにもそんなことは書いていなかったので、「それならエントリーを辞退します」と告げると、電話の向こうで担当者から慌てた様子で「まあ、そろばんを置いておくだけでいいから」という答えが返ってきました。確か小学校のころに一年ほど近所の珠算教室へ通った記憶はあるのですが、そんなものはとっくに忘れてしまっています。今さら習ってもどうなるものではありません。「ほんと、いい加減な会社だよな」、その時抱いたこの思いは56歳で退職するまで一貫して変わることはありませんでした。こんな我が儘な私が33年もの長きに亘って務めることができたのも、このいい加減さ、いい意味での懐の広さによるところが大きかったように思います。

 いよいよ、当日。手狭な本社ビルではなく、同じ心斎橋にあるスポーツ用品店の二階会議室に集められ、30人ばかりの応募者と一緒に試験を受けることになりました。いきなり配られたのが珠算問題、机にはそろばんが置かれ、「まあ、置いておくだけでいいんでしょ!」と悠長に構えていた私も、トライはしたものの、皆のスピードにはついていけず、30問くらいある内の4、5問しか解けなかったように思います。気を取り直して臨んだ次の試験、配られた用紙を見ると「吉本興業の事業内容を記せ」とあります。その時になって初めて気がつきました、吉本といえば難波・梅田・京都に花月劇場を経営している会社、という認識くらいしかなかった私にはそれ以上に書くことはありませんでした。残りの常識問題などは、新聞社の試験に比べれば簡単に答えられたのですが、「もうちょっと、会社のことを調べておけば!」という悔いを残す結果となりました。午後は場所を本社に移しての面接試験。会社が用意してくれた中華料理店・ハマムラで何を食べたのかも覚えていません。何を聞かれたのかも覚えていないのですが、新聞社と違って随分とフレンドリーな面接官だったことだけは記憶に残っています。

心斎橋にあった吉本ビル

 

入社後、最初の勤務地となった京都花月劇場

 

本当に、置いておくだけでした。